与謝蕪村 文学と美術の狭間に初恋

春雨や小磯の小貝ぬるヽほど

春の海終日のたり/\哉

静さに堪えて水澄たにしかな

地車のとゞろとひゞく牡丹かな

夕風や水青鷺の脛をうつ

蕭条として石に日の入枯野かな

葱買て枯木の中を帰りけり

靜なるかしの木はらや冬の月

昼舟に狂女のせたり春の水

江戸時代の俳人、与謝蕪村(1716年~1784年)の句をいくつか集めてみました。
先日の記事で紹介した増田陽一先生の句にもに続いて、絵を描く俳人の第2弾です。
蕪村は、重要文化財、国宝に指定されるほどの絵描きです。
下に紹介します。。(3枚のうち上の2枚、下は若冲)
絵は、上品でもの凄く洗練されているけど、少し窮屈で世界が小さいところがあり、俳句は生々しいところがあるけど、開かれて広がりがあるという感じでしょうか。
 絵に関しては、だんだんと幕末もちがづき、写実画もさかんになっている時期なのですが、その影は直接的には蕪村の画面には現れていません。
ただ、漠然とした不安が、感じられます。どこか、時代が動き始める予感のようなものが。。。
絵という小さな部屋の中は美しく整えられているが、外の世界は大嵐というようなかんじ。
軽薄なものを拒否して、何かを、キリリとした強く美しい心で守ろうとするかのような気持ちがかんじられ、それはそれで胸を打ちます。
芭蕉を尊敬していたことは、かえって絵に現れているのかもしれないと、ふと思いました。
それにたいして、蕪村の俳句は、これも変なたとえですが、次ぎの時代の絵画である、亜欧堂田善、渡辺崋山、広重などに直接通じるようなかんじを自分は受けます。
 蕪村の句は自分にも理解しやすくて好きです。
厳しく様式を守りたい一面と、時代の空気も無視できない複雑な人だと思います。
 3枚のうちの一番下は、ほとんど生涯が重なる伊藤若冲(1716年~1800年)の絵です。
彼の絵を見ると、写実という旧来の日本的な何かをこれからゆるがしていくものを旨そうに楽々と食らう旺盛な消化力を感じます。古いも、新しいも、奇麗も、汚いも、物凄いアクとともに呑み込んじゃうんだな。、
悪役づらですが、またこれもまた、美しい。
若冲はいわゆる文人画家ではなく絵に専心しました。
 =エピローグ=
先日、ある会員制の掲示板(同窓生完全限定)で自分のかつてのgirl friendことが話題になっていました。
昔の超カワイイお写真に*十年ぶりによだれを垂らした銀でしたが、横に、なぜか、自分の貧相なくせにうぬぼれタップリの気色悪い顔ものせてあり、げんなり。
健闘むなしく振られたのもむべなるかな。
***さん、その節は、大変ご迷惑をおかけしました。
お幸せをマジいのってるよ。。
次の日、かあちゃんに内緒で1分間だけ、一人、利根川を見に行ったっけ。
 そして、その1分間だけ、ヘンな壷や、不気味なエロ彫刻をやめて、過去、現在、web世界を行き来する美しい恋愛小説を書いて芥川賞をとるなることを夢見た私でした。
ちゃん、ちゃん


ぶそん2

蕪村1


じゃくちゅう

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彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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