8月15日

今日は、8月15日終戦記念日です。
以下おもいつくままに。
僕は、1959年生まれですから、高度経済成長期に物心がつき、当然、直接的には戦争の記憶はありません。
その中で、印象が強いのは、上野動物園に母に連れられて行くと、上野公園で白服で手や足のない傷痍軍人が義手をついて物乞いする姿が怖かったこと等です。
母は「ああいう義手や白装束はヤクザが貸してくれるんだ、本当は手も足もあるんだよ」、と言って素通りでした。
また、母のすぐ上の兄は南洋で艦上病死したけど遺骨など何も戻らず紙一枚だったこと、いわき市に住んでいて女学校時代空襲をうけて、目の前で最後に校庭に残った校長が爆弾の直撃を受け?跡形もなく消えてしまったこと、機銃掃射の米兵がすぐそばにまで降下してきて、顔がハッキリ見えたが笑っているようだった事などよく話していました。
勤労動員にも行ったけどお腹が減って仕方が無かったなど。
56歳になった今思えば戦争が終わって14年で生まれたのだから、あんまり時が経っていないと言って良いんですね。
幼い頃は勿論平和でしたが、なんだかゴミゴミして思い出すのは薄暗くはりつめた空気感です。、
当時は無論子供で分かりませんでしたが、大人たちはやっぱり大きな傷を心に持っていたのかなと言う気はします。

安倍総理の70年談話ではお詫びの気持ちが、意外に表現されていた、いやお詫びの真剣さが足りないとかいろいろ言われています。
ぼくは、個人的に「お詫び」で思い出すのは、朝鮮籍が殆どと思われる在日コリアン美術家たちとの宴席で何かきっかけで、ある人に「日本は朝鮮に迷惑をかけた」みたいなことを言ったら、大笑いされたというなんだかほろ苦い思いでがあります。
日本姓を名乗るビジネスマンをしていた世慣れた感じの美男子でした。
多分、驚いたのと、まあ、堅苦しいことはやめて楽しくやろうぜ、というのとそんなに問題は簡単でないんだよ、と言うのが複雑に絡まった反応だったのだと思いますが、なんだか自分の書生臭さがとても恥ずかしかったのを憶えています。
1990年代、未だ拉致問題が表面化せず、朝鮮籍アーティストたちも自分たちのルーツを割合堂々と主張していた良い時代でした。景気もよかったし。


安保法制のことなどもあり、いろいろ思いは巡りますが、なんとか、平和で殺し合いのない世界であって欲しいと祈るばかりです。
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彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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