ジョンモリスの戦中日本滞在記

面白い本だった。
外務省嘱託で1938年に日本に招かれた,イギリスのインテリが,太平洋戦争開戦後、1942年に交換船で日本を脱出するまでの記録。帰国後すぐに書かれて刊行されたらしい。日本では慶応大学、東京帝大などで教鞭を執った。
大平洋戦争開戦後、日本を出るまでに拘束されなかった、ほぼ唯一の英米人だったという。
親しいアメリカ人ジャーナリスト達が次々と拘束されるなか、日本政府に日本の政治的放送を手伝うことを提案されるがそれを勇敢に拒否するが、それでも、本人が当然恐れた逮捕には至らなかった。
「祖国への忠誠心は,日本人の誰もが理解していることですから、私がラジオの仕事を受けていたら、彼らは私を軽蔑したでしょう。彼らの申し出を拒否した私に何の処置も取らなかったと言うことは,彼らが同じ立場に立たされれば,やはり同じ態度を取るべきだと思っていたことに他なりません」とある。この男気と日本人への信頼が外務省嘱託という立場に加えて彼を救ったと言うことだろうか。
拘束されたアメリカ人、イギリス人、大使館関係者の本国送還が決まる中、心細くも取り残されるが、最後に出国の許可がおり交換船で帰国する。この辺りは本書のクライマックスであり手に汗握った。
戦争を遂行する軍部には痛烈な批判を加えているが、日本政府、学生、庶民には親近感と信頼感を持っており
真珠湾についての記事では『私は日本政府が良心に基づいた外交を行っていたと信じないわけに生きません。また、当時の日本軍が事前に政府の承認を得ず、攻撃を実行に移すことは充分にあり得ました。」とある。
勿論これは間違いで御前会議で決まったことである。
軍部が牛耳る大日本帝国官憲の言論、出版、行動への弾圧の描写は作者のユーモアあふれる文章で飄々とはしているが、やはり今では想像もつかぬ恐ろしさで、軍部のがリーダーが政治の実権を握ったらば、もうお終いと、つくづく思った。組織的に人を殺すことを訓練された集団の潜在的な危険、政治の大切さを痛感した。
また、当時の日本文化に関する記述も多い。評価が高かったのは戦争責任を問われることの多い近衛文麿の弟近衛秀麿の越天楽。雅楽を編曲したものらしい。西洋文化の影響が著しいものへは,演劇、音楽、レビュー、絵画など全てに手厳しい
絵画に関しては、キュビズムなどモダニズムは、もともと、東洋やアフリカ等非ヨーロッパの影響があって西欧で成立したものでもあり、それに影響を受けた戦前の日本のモダニズムにも独特の屈折した味わいがあるとおもうので、そのあたりは?であった。少し、西欧文化を自分たちだけのものと思う本場意識の狭量さは感じた。
なお、1940年の皇紀2600年の記念行事に、ブリテン、イベール、リヒャルト・シュトラウスが作曲を依嘱されていたというのは初耳であった。
ブリテンは、日本政府からの依頼の手紙の文章が難解で、祝典のものとは思わず、故天皇を偲ぶ曲と解して暗い曲調となり、演奏されなかったといういきさつが書かれていたが、wiki等ではちょっと違うので間違いかもしれない。シンフォニア ダ レクイエム。
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Author:ぎんよう
彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

我が家の掃除機の塵の放射性物質
Cs137:641Bq/kg(検出下限39.7)
Cs134:211Bq/kg(検出下限19.3)
Cs合計:852Bq/kg(検出下限58.0)
採取時期:2014/1月~2014/3月

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