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新HPのこと、小説家小島信夫先生のこと、OMONMA TENTのこと

アップル社の方針転換により、.Macの付属のHPの写真が使えなくなりましたので、新しくパーソナルドメインを取得して、HPをアップしました。
陶芸家としての新HPは数ヶ月前にアップしてありましたが、今回、彫刻家、画家としてのHPも新しくつくり、旧HPは削除致しました。

新HPは
銀窯 陶芸家鈴木厚公式ホームページ >>>http://www.ginyou.net/tougei/home.html
彫刻家・画家 鈴木厚  >>>http://www.ginyou.net/tyoukoku/home.html

です。
よろしくブックマークのほどお願い申し上げます。

なお、「人知れずがんばる作家たちに」ご登場の作家さんの作品も一部写真が出なくなっていますが、現在編集中です。また、インターネットエクスプローラーでは新hpは残念な事にご覧になれません。


ところで、死人に口無しだし、自慢話になってしまうかもしれないのですが、、彫刻家、画家として仕事をしていた頃、父である彫刻家鈴木実が知り合いだった事から、故小説家故小島信夫氏に、合計でも6~7回でしょうか、高校時代から、会ってお話を伺ったことがありました。
国立のお家にも一人でお邪魔したことがありました。
先生いはく、芸術家とつきあうなら、「功なり、名を遂げた人か、ごく歳若い人。」ということでした。
先生はアメリカンスクールで芥川賞、「抱擁家族」で谷崎潤猪一郎賞を受賞しましたが、その後10数年に及んだ「別れる理由」(日本芸術院賞、野間文芸賞)、を雑誌「群像」に連載中に父と出会ったようです。
当時父は、業界内の事ではあったが、「顔を替える人」以後、独特の現代的着衣等身大数体組群像で急激に注目されるようになり、お約束の若い女性が現れたが、絶縁後、母との関係修復のために夫婦で出かけた木曽の旅館で偶然会ったとのこと。
父は、その後死ぬまで非常に小島先生を尊敬していました。
「別れる理由」は私も、完結後、美大生時代に2段組み、3巻の単行本で読んで、感想をハガキに書いて送ったところ、喜んでくださったようで丁寧な返信を頂戴して感激しました。
自分は、「別れる理由」に実名で登場する柄谷行人と先生のやり取りが美しい人間関係の見本のように思えた、というような事を書いたのだが、「柄谷君に教えます」というような返信だったと思います。
「あなたのハガキから新しい小説世界が広がってくる」のような事まで書いてあり、興奮しました。
晩年の「暮坂」にそのいきさつが、事実のままではないが申し訳程度に出ています。
「暮坂」出版のときは、既に自分は35歳、「ごく若く」はなくなっていたせいか、感想の手紙に何の返信も無かったのですが。

自分の、2度目(自分30歳)、4度目(34歳)の個展は見て頂きました。
2度目のは、すべて一点一点スタイルの異なる絵と彫刻の個展であったのだが、自分の「変な事をゴタゴタやっていると普通の事が新鮮に見えて来ます。」という発言に「それしかないんだ。」、出品作品は「思ったより全然良い」(思ったよりとは?)「自分はすぐマンネリに成るので、スタイルは一点一点変えます。」の発言に、「そう、一度きりなんだよね。」とご機嫌でしたが、4度目の個展で「月を視る男」を出品したときは「変わったな。凄く変わった」と言うだけで褒めてはもらえず、それからは、手紙を書いても返信が来なくなりました。

その2度目の個展のときの「一度切り」につながる「型になってしまってダメ」「スタイルを変えて来た」「表現は一寸先は闇、自分が思ってもいないようになったときが面白い」などという言葉は常々の先生の言葉であって、先生にシンパシーを抱く父も彫刻家の中ではかなりスタイルを変える方ではありましたが、父は自分には「先生はそういうけど、そんなに行き当たりばったりに変えてたら身が持たん、」というようなことを言って10年ぐらいは同じようなスタイルだったようだが、今考えてみれば小説は印刷して一点が数万も世に出るが、が彫刻は一つ一つ作って増やすしかない。
一つ一つ無節操に変えていたら、寡作にはなるし終始一貫しない人と思われるだけです。それに、木だの石だの、この世の中の物質を大工道具を使って加工する形而下的芸術であるところの彫刻は、或る程度は計画的にやらないと形にならない。特に大作は。
「一度切り」でなくても型に成らなければ良いのです。
しかし、自分は40代中盤焼き物を始めるまでは、無謀にも、一点に半年もかけながら、密かに自分こそオヤジより小島先生の教えに忠実と思ったりしながら、まるでエスキースを作らない行き当たりばったりの作り方で、ほぼ、一点ごとにスタイルを変えていいました。。
その頃は、景気もよく時折自作も売れない事もなかったですが、主に父の生業である時代物木彫彩色小品(松尾芭蕉像など)の下彫り、後には短大教職等の嘱託で生活費を得ていました。
その後、父が死に、焼き物を初めても、制作時間は驚異的に短くなりましたが、やはり、焼き物屋にしては、いろいろの事をやるタイプだと思います。
どうも、変だという感じで苦労して制作していたのが、適切な新しいやり口にすると、急に、あっという間にパタパタといろいろなものが片付いてあるべきところに収まる感じが非常に快感で、自分で見ると、そういう新しいやり口を見つけたときの作品は生き生きしてバランスがよく、何とも言えない力があるようにみえているのですが、あんまり、人様には伝わっていないようなので、結局どうなんだかよく分かりません。
たんなる、気分転換、逃避、自己確認のような気もします。
ただ、40代終盤になって、やっと生活費を自分の作品で多少は稼ぐようになって、特に地元のGALLERY&CAFE
OMONMA TENT
から、「これの再制作で10客」というような注文をかなり頂戴したせいで、生まれて初めて真剣に過去の仕事を繰り返す訓練をしたので、ヒマワリの染付模様になど、ごく小品の模様は同じようなのをたくさんやっても、あんまり鮮度を失わないで出来るようになったのは、ジャンルが違う気もしますが、個人的にちょっと嬉しい。
まあ、鼻歌まじりに太くて無造作に書いていた線を、ごく細い線に替え、非常に気持ちを集中して、洗練する方向でやっています。

説明が例によって長くなりましたが、このサイトにこられる方にはもう見飽きた作品ばかりかと思いますが、旧HPは雑然と並べただけでありましたが、新HPはジャンル別に分けましたので多少見やすいかと思います。
是非ご覧ください。



scan20040608_102944_1.jpg
月を視る男 4回目の個展
自分で見れば古典的調和に見えるんですけどね。

image001_2.jpg
海辺の犬 f200号 2回目の個展
小島先生がこの絵の前でキョンシーみたいだと、あの格好をされたのが目に浮かぶ。
Image-7736D104B9FD11D8_20090405205326.jpg
「亜欧堂田善」約150号fぐらいの変形カンバス。油彩。2回目の個展
小島先生は「ありそうで無い絵」と褒めてくださった。
IMG_4260.jpg
OMONMA TENTからの注文で制作したカップ&ソーサー

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テーマ : アート・デザイン
ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag:美術・彫刻・絵画  Trackback:0 comment:6 

Comment

イワノビッチ URL|亜欧堂田善
#- 2010.11.28 Sun21:16
 あらためて見ると、達磨像は、達磨がインド人であることを思い出させる傑作であります。平八のよりいいんじゃないかなあ。
 この2回目の個展はみてないな。広尾か一の橋かでやったのはよくおぼえてる。亜欧堂田善という題は、江戸時代の絵描きが、はじめてパースフェクティフに出会った感じということ?
銀 URL|Re: 亜欧堂田善
#Yx4q6d1M Edit  2010.11.28 Sun22:03
>達磨
どうもありがとうございます。いや、どうお答えしていいやら。。
あのころ、あんまり着衣を肌にぴったり付けないで浮かす感じを覚え、自分なりに割と楽しくできるようになりました。

>2回目の個展
そうですね、この2回目は貴君は風邪引いたか、忘れたかで、来なくて、その頃はオバカのタイプがイケイケだった自分は作品の写真を持参して、貴君のアトリエに押し掛けたのを覚えています。
>亜欧堂田善
この絵の前まで、ポップな平面的な漫画っぽい絵を描いていたのですが、どうも、日本人を描くと妙に浮世絵風になっていた訳ですが、経緯は忘れましたが、久しぶりに遠近法を使ったので、平面的な癖と遠近法との組み合わせがやっぱり、少し感じが違って、幕末の洋画家はこんな感じだったのか、という風に思って付けた題名だと思います。
ポールデルボーとかキリコとか印象派からキュビズムを経た感じの遠近法も意識したりしていました。
まあ、美術史オタク的絵描きの気取りというか、作る側の気持ちの問題ですけれど。。
それと、亜欧堂田善は浮世絵みたいに何となく器用に処理する(版画だし、それはそれで素晴らしいと思うのですが)違って西洋との齟齬みたいな変な味を、折衷ではなくて、別の新しい形にちゃんと解決しているのが数点あると個人的には今でも思っているのですが、そう言う尊敬の気持ちもあったと思います。

「溜め池図」など。
ヒガシ  URL|
#- 2010.12.01 Wed23:47
~2004
とあるのが、ちと気になりました。
小島さんに陶芸も見て貰いたっかたですね。
まきこちゃん、よしこちゃん、こずえちゃん・・・新しい仏像も。


銀 URL|ヒガシ様
#Yx4q6d1M Edit  2010.12.02 Thu08:13
まああんまり意味ないんですけれど、あのサイトにあるのが2004年までの作品という事で。
ちなみに、時代物は、シャレで~1868の大政奉還までにしてあります。

小島先生は、実は父が死んだあと、回顧展をやった山形美術館学芸員と国立駅前の喫茶店で父についてインタビューをとりました。
例によって、湯水のごとく湧き出るお話は難解ではありましたがが、会った年とか展覧会の年とか、もうほとんど90というご高齢にも関わらず、すべて覚えているには驚きました。

まきこちゃん達は、少数のファンがいて今家内の友人がデーマソングを作ってくれたりしているのですが、やはり着衣で白木で現代的風俗等身像という事になると、聞こえて来た父親に似ているという評価がやっぱりつらかったです。
作る側からすると、それでも敢えてやってしまったというか、そんな事が気にならなかった(例によっていじくり回しているうちにああなってしまったというのが実態だったのですが)のだから、実は独自の良い内容だったと思いたいのはヤマヤマなのですが、父に対して呑気だったなという風にも思います。或は、もっと呑気でも良かったのかなとも。
小島先生と父親には染付の大皿みたいのは見てもらいたいなーという思いはあります。
すんません。調子に乗って自分の事ばかりかいてしまいました。
ヒガシ  URL|
#- 2010.12.04 Sat10:29
あ、ほんとだ1869。
そうそう忘れてました。金のだるま一枚天地逆になってます。
銀 URL|Re: タイトルなし
#F.S2sd/w Edit  2010.12.04 Sat13:48
あ、どうやら大政奉還は1868でも1869でもなくて1867みたいですね。 う~。
>そうそう忘れてました。金のだるま一枚天地逆になってます。
ご指摘ありがとうございます。
あの天地逆、一回直したつもりがまだ逆ですね。

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ぎんよう

Author:ぎんよう
彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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