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村田町蔵の陶器市

宮城県の村田町の蔵の陶器市に参加してまいりました。
ものすごく疲れましたが、値段を安く設定したこともあって予想よりは数が出て楽しかったです。
中でも、去年買って下さった方が、再び買って下さったのがとても嬉しかったです。
とともに、今年お渡しした作品に気付かなかったキズがあったりしたらば、どうしようと心配になったりもします。

技術的には、今回は釉薬の配合で灰の割合を多少減らし長石の銘柄を色々変えて藁灰を入れたりもしました。流れることをおそれ風格を求めたのですが、ちょっぴり深みが増、安定したかとは思うものの、青磁の表面のレリーフに苦労して表現した息づかいのようなものが多少隠れたかなとも思います。陶芸家の先輩諸氏は歩留まりの良いクスリを「けちくさい」とも言っておりました。激しく反応する釉薬の若々しい魅力を思い出しました。一番下が今回の青磁です。
下から2番目の染め付けも小生の今回の作品です。藁灰は入れてませんが木灰と陶石と長石の組み合わせで、マットで多少失透、ゴスは微妙ににじんでいます。前回の窯(去年の陶器市ではなく今年の春)では、長石を使わず灰をもう少し多く配合していましたが、完全にゴスが見えなくなることもあるうえにじみがもっとありました。しかし、そっちのほうが魅力があったというご指摘です。絵付けにかなりの時間がかかっており、小生の場合ひとつとして同じ絵付けのものを作ることをしないので、歩留まりも無視できる問題ではなくよく考えたいと思います。

うえの二枚の写真は、終了後泊めていただいた、元窯鈴木智さんとご子息のジュンくんの作品です。
智さんの作品は、ざっくりとスピード感のあるロクロですが、疾走感の中にいわゆる陶磁器らしからぬ怪奇でリアリティーのあるイメージがほの見えます。中国の古いものに共通するものを感じることがあります。いつもかなわないなと感心いたします。私の陶磁器の師匠です。鈴木智さんの作品はこちらでもご覧になれます。≫≫鈴木智

息子(現在高一)さんの作品は、いわゆる彫刻とは言えない生々しいものですが、こういった生の感覚のある彫刻を作ろうと彫刻を作っていた時代には苦闘していました。しかし、それをプロの彫刻家の作品として受け入れて貰える環境は日本には全くないなと痛感していました。しかし、この作品を見ると、こういった感覚は豊かに表現されることを待って密かに日本に封じ込められているのだなと改めて思います。誰かとてつもない天才が彫刻界に現れることを、期待してやみません。
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Tag:陶磁器  Trackback:0 comment:4 

Comment

獨楽老人 URL|
#- 2007.10.26 Fri22:20
ええね
銀窯 URL|
#- 2007.10.27 Sat08:14
獨楽老人様
第1号のコメントありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
綾崎華美由 URL|
#- 2007.10.28 Sun01:06
先日はお世話様でした。
また良い作品作り上げてください、愛用しております。
先日お話のあった北魏の仏教様式に関しては
八木春生「雲岡石窟文様論」
石松日奈子「北魏仏教造像史の研究」の2冊をお勧めします。
特に前者は銀窯さんの絵付けで私が感じた西域的な要素に関して詳細に論じていますので興味深いと思われます。
銀窯 URL|
#- 2007.10.28 Sun10:48
綾崎華美由様
コメントありがとうございます。また陶器市の際はありがとうございました。
本探してみますね。
北魏仏は自分の心のふるさとです。
しかし、彫刻を本気で始めた頃は技法的に研究して真似ていたのですが、その時代はあんまりんなにもうまれませんでした。何とか納得できた仕事はこのブログの自分の最初の投稿の追記のところに出した自刻像のみです。
やはり、鑑賞者としての自分と制作者としての自分は全く違うもので、作品の表面を加工するときになにか、自の脳や手、素材の間に何か濃密な官能的なものが生まれてこないと生きてこないのです。それで20代の中盤からは、とにかく手当たり次第という感じで、様々な材料、テーマ、道具(これが意外に重要です)をさまよう迷宮的な作業を延々と続けることとなりました。しかし、混乱の中で、北魏仏を研究していた時期に求めた感覚が印画のように全く別の様式に現れて見えることがあり、それは他人には伝わらないことがほとんどですが、制作者としては密かな喜びです。
今でも基本的には変わらないのですが、湯呑みやぐい呑みのような極小さいものでは、今のところは、そういった迷宮的な苦しみをある程度避けられるという面があります。割合楽々とゴタゴタしたもので遊べる感覚があります。世の中のほんの片隅で自適する感じです。しかし、器であっても大きくなると苦しい迷宮的作業を未ださけることができなくなってしまい表面にゴタゴタいろんなものがくっついた非難ごうごうの壷を作ってしまいます。(自分のHPに本日アップした愛の壷など)。簡単に言うと間が持たなくなると言うか、、、、

この間もお話ししたのですが、文化が混淆するときと言うのは何か面白いものが生まれると自分は思います。
自分は、印象派や、ギリシアのアルカイック、日本の幕末の洋画(浮世絵でなく、崋山や亜欧堂田善の数点の作品)
をそういう視点で楽しんでいます。何かどこかぎくしゃくして可愛くて、味があります。エドワール・マネでもオランピアなど流麗に見えて、やっぱりペカペカしたパンクなところが自分には感じられて、笑ってしまいます。

長々と自分の考えを書いてしまいました。
今後とも、これに懲りずによろしくお願いします。
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Author:ぎんよう
彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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