実ほど頭を垂れる稲穂かなー父の死についてー

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風邪で仕事が大幅に遅れてしまったので、籠もりっきりで働いていましたが、本日、家内の留守のために子供の飯を作ったりしていたらば疲れが一挙に出てきたので、働くのをやめて田んぼに久しぶりに子供と散歩に行きました。
もう、稲穂がしっかりと育っているのですね。

「実」ほど頭を垂れる稲穂かな

で、父鈴木「実」作品を論文の対象にしたいと、少し前になりますが顔見知りの彫刻家の教官ともに某国立大学大学院の学生がやって来ました。
父の遺作を見たいと言うことで倉庫の中を見た後、私の汚い仕事場に成り下がったアトリエにたたずみ、何かの幻影を見るかのように感慨に耽っていましたが、平たく言えば気持ちの良い若者3人で、すぐに丁寧な礼状までもらいました。

知っている方も多いかと思いますが、父である木彫家鈴木実は7年ほど前に縊死しております。
父のことが話題になりますと、今でも自分が非常に緊張するのを感じます。
身が固くなり、イヤだな~という感じです。
このイヤだなーという感じは、親を自殺でなくしている人間にありがちだろう罪悪感からか、それとも同じ美術家でかなり高名(死んだときに、新幹線のテロップで流れたとか、、)の父に対するコンプレックスなのかよく分かりませんが、酒を飲んでいたりすると、いきなり机を叩いて怒り狂うというようなこともまれにあります。
普段の自分は、過適応という位の人間なので、学生さんには豪華版の父の回顧展のカタログを進呈し、にこやかには応対しましたが、一応、教官の方には父の首をつったアトリエ内の現場を見せて、「これが首つりのロープをつった金具を刺した穴ですよ、写真を撮っておいたらいかが?」と勧め、教官が動揺するを見て楽しんではおきました。
彫刻家の特長かと思いますが、無邪気というか、無神経というか、平気で自殺者の遺族である私の前で、父の話をする人が多いです。
あるいは、彫刻界の有名人というのは、生身の人間でなくて、抽象的な歴史上の人物になっているから、話題にするのに抵抗がないないのか。。
まあ、遺族の顔を見れば話さずにはおれない、カリスマ的人物であったということでしょう。
しかし、木彫からは逃げ出したものの、自分が父が縊死した家で、平気で普段は割合陽気に暮らしていられるのは、(幼なじみのユビキタスタジオの社長は奇跡だと褒めてくれました)あるいは、彫刻家に限らず著名人没後しばらくは必要に迫られて遺族がつきあわざるをえない関係者の皆様の多くがが遠慮なく父のことを話題にするので必死にそれに対応することで自分が回復してきたのかもしれないと思うこともあります。
父の私生活の癖や、女性関係について面白おかしく話して受けると、やっぱり嬉しくて多少元気が出ました。
厚さん話がうまいですねなんて褒められてね。。。
自分が相当鈍いパープーだからだという気もしないでもないし、家内のおかげも勿論ありますし、近所の人がごく普通に我が家に接してくれていること、また、売れないのに遺作にかかってくる相続税やかなりの借金で危機一髪でしたが、家や作品も結局相続できたた事も大きいとは思いますが。。
取手の取手アートプロジェクトがもっていたギャラリーでの展覧会の為に書いた文章を上げておきます。
この文章は、いろいろのこと、例えば罪悪感であったり、コンプレックスだったりを種に一席という感じで書きましたが、書き上げたときは悪い気持ちはしなかったです。


「 自分が子供のころの父は、近所のこども達を集めて遠足に連れて行くような陽気なアンちゃんだった。今思えば、そのころの父はすで院展その他で一目置かれる才人ではあったようなのだが、芸大出の日本画家で張りつめたような顔で絵を描いている母の方がはるかに神秘的な人に思えた。自分が中学に上がるころ、1970年代始めに「顔を替える人」が出来た。

この頃より彫刻の森美術館の企画展に呼ばれたりと急に有名になり多忙になった。父自身も「とうとう見つけた。死ぬまでこのスタイルで行く。」といったようなことを言っていた。続けて、「記念撮影」、「傍観者」といった傑作が続き、父は自信に溢れ、実に楽しそうに制作に打ち込むように見えた。父を尻に敷いていた感のあった母も「もう少しで、世界の名作になる」と太鼓判だった。今見ても、あの頃の数点は、それまでの彫刻とは全く違う70年代ならではの感覚がもられた、しかもすぐれた彫刻にしかない豊かで大らかな実りを感じさせる傑作だ。
山形の農家に生まれ旧制中学しか卒業しかしなかった若者が一流の芸術家として世に認められていくドラマのあった家庭は生活が年々豊かになっていく実感もあり、一人息子にとって誇らしく楽しいものであった。
 しかしその後、ますます名声が上がるにつれて父が制作を楽しそうにやっているということがどんどんと減っていき、辛そうに仕事をするようになった。代表作といわれている「家族の肖像」もなんだか気に入らないようなことを言っていた覚えがある。
明るかった鈴木家は、名声の副産物である若い愛人の出現で陰りを帯び、母は鬱病になった。
再び、かつてのように楽しげに豊かな彫刻を苦もなく作り始めたように見えるのは、神経を延々と病み続けた母が1998年に死んで一人きりになった父が非業の死を迎えるまでの数年間だ。この展覧会に出品された「K・遙かなる彼方へ」はこの鈴木実最晩年の充実を代表する一点である。」

鈴木実作「K・遙かなる彼方へ」

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合掌


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彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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