憲法について

参議院選を前に憲法について思った事を。
まず、
第21条
現行)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

自民党2012案)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2,前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社ををすることは、認められない。

お上のやることに文句を言うと、「代案はあるのか、責任とれるのか。」と言うような無言の圧力がかかるというか、気が弱いもんだから、ついそう思っちゃう。そうすると黙るしかなくなるわけだが、考えてみれば、情報も権力もない素人の一個人がそんなしっかりした代案はまず無理だし、責任なんて理不尽だろう。ここのところちょっとだけ憲法についての本を読んでみたが、現行憲法にはそういう、不公平な責任論の空気から自由になるためのよりどころがある、と思った。
また、自分はずっと1人で物を言う勇気がないと、かっこよくないし発言に力がないと最近まで思いこんでいたが、やっぱりたくさんで言わないと力なくてダメと言うことを去年多少役所に物言って分かったわけだが、今回憲法関係の本をいくつか読んでみてお上に対しては徒党を組んででものを言っても恥ずかしい事とするべきではないことにきづいた。
それで、21条はこのままで良いと思います。
今でさえ、表現の自由って結構ないとおもう。


96条について
自民党は96条改正で国民の手に憲法をとりもどすと言いますが、憲法が変わる可能性あるこの選挙の前にこの静けさ。それほど議論も盛り上がらない。今のままで96条改正して頻繁に国民投票になっても投票率低くなるだろうし関心もそれほど高まらないのではないだろうか。
しずしずと、時の政府の言うままの改憲が繰り返されるのではなかろうか。
変えるには各々の条文に対して両院で3分の2以上をとらせる国民の熱い思いと、深い理解が必要だと思うから96条は今のままで良いと思う。

前文について
自民党案の前文に「日本国は長い歴史と固有の文化を持ち」とあるが、美術家として日本美術を長く見て来たところでは、古来、日本文化は中国、朝鮮との交渉によって実に大きな影響をうけ変質したうえで豊かな実りを残してきた。西洋的な見方は18cの末には鎖国の中かなりの影響力を持って来ているし、受け入れるだけの準備も整っていたことも感じる。
あくまで美術を通じてしか自分は判断できないのだが、そんな曖昧で流動的なモノを「固有」とする事には無教養と政治的な意図を強く感じる。
ちなみに西洋でも19世紀になると良心的部分では、東洋的なものとの出会いを媒介に深刻な内部崩壊をした上で新しい美術がうち立てられたと思っている。
文化は国によって違いはするが互いに影響し合っているものであって「固有」になるとまずはつまらないものになると思われる。
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彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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