シッ!

給食、美味しいシッ!
足、早いシッ!
遅刻するシッ!

この、語尾にシッ!をつける話し方を、小学生の娘らが盛んにする。

これは、2003年ぐらいのころであったが、短大の非常勤講師をしていて学生が話すので気づいたのが最初であったが、この語尾に「シッ!」をつける若者は、それまで蔓延していた半疑問形を使わない。
半疑問型を最初に聞いたのはテレビで生前の本田美奈子の話すところであったから相当昔だが、その時は、日本語に自信のない在日欧米人が単語を正しいかどうか日本人に確かめながら会話しているのを真似しているようだと思ったのだが、はやり出すとどうも気取った感じがしてあんまり好きになれず一度も使ったことがない自信があるのだが、圧倒的スピードで学内から半疑問形を駆逐した「シッ!」は好きで美術講師の自分も取り入れ「先生は、あつしだシッ!」とかいって結構学生にうけたりしていた。

しかし、最近の「シッ!」はさらに進化していたのでビックリした。
まず、命令形にもつく。
見ろシッ!
食べろシッ!
茨城県に来てなまったのだろうか。
何とも田舎臭い。

疑問代名詞(だっけ?「だ」は助動詞か?)にもつく。
なんでだシッ!

これに、不満の聞き返しの語句「は~っ?」をつけて、
はっ?、何でだシッ!
にもする、実に感じ悪いが、便利なので家内の命令(ごみ出せ、掃除しろ、洗濯物を干せ等)に抵抗するのに使っている。


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ジャンル : 日記

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高橋竹山とバックハウス

50歳になったこともあり、時々家内に隠れて吸っていたタバコも完全にやめて、酒もほとんど飲まず、食事も良くかんでかつてのように食欲の赴くままにいくらでも食べるということをやめて、半分くらいにしている。
食事を減らしても、あんまり体重が減らないと言うことは、元もと痩せていたのだが、以前は長時間労働と情緒不安定に食べ過ぎ、呑みすぎが加わって相当不調だったと言うことだろう。
大体、よく「疲れているね」と言われていた。
酒は、ある先輩から、あまりに美味しい日本酒を頂戴し、4日ほどかけて大切に頂いたのだが、呑み終わると、ついこの間までのように、安酒をがぶ飲みするのがバカバカしくなってやめてしまった。

それでも、あまり調子よくなったと言う感じでもないが、気を付けないと10年くらいの内に死んでしまう気がするので続けることにしている。
(父は58で最初の癌手術、母は50くらいから、抗鬱剤の海を延々泳ぎ続けていた。)
節約にもなるので、自分へのご褒美ということで、ここのところ何点かCDを買った。

そのなかで
まず、高橋竹山。
竹山
youtubeはこのレコードの後、渋谷ジャンジャンでのライブ。

実は、この音源はLPで20代のころ聞いていたはずなのだが、カリスマ的な風貌に名声と伝説は凄いのに音は何だか迫力なくて意外に軽いなという印象でそれほど感動した記憶はありません。
最近も多分、かなり晩年の録音だったのだと思うのだが聞いて何とも弱々しいという印象で、最近の若い人の勢いのある演奏の方が好きだったのだが、この音源をたまたまyoutubeで久しぶりに聞いて自分の馬耳東風ブリを恥じました。

まず、人様を圧倒してしまおうという態度がないのは、芸人として上品というか最高に上手くないと出来ない事だろうと思うのだが、一番感じたの抽象的な言い方になってしまうのですが、全体が柔らかい構造になっていて、すべての音、フレーズがキッチリというか、皆役割を持って必然的にその場所に息づいているという印象を受けました。

欲しくてたまらなくなり、急いでこの史上初めての津軽三味線のレコード一番上に上げたジャケットの「源流ー津軽三味線ー高橋竹山」を急いで購入したわけです。

で、竹山を聞いてふと思い起こしたのが、突飛かもしれませんが、ドイツの往年の名ピアニスト、ウィルヘルム・バックハウスです。
鍵盤の獅子王、ドイツの正統とか言われて、いかめしいイメージですが自分が聴いたところでは意外に軽やかで、華奢というか繊細というかそんな印象があります。
全体がガッシリしていたり、ガンガン迫ってくると言うのでなく、細身でしなやかな全体の流れの中に、ゴツゴツした岩みたいな表情がポコポコと見えるという印象です。

一つだけリンクしておきますので興味のある方は聴いてみてください。
ベートーヴェン作曲、ピアノソナタ29番、op106です。
特に、この曲の最終楽章は、ベートーヴェン晩年によくあるフーガなのですが、どの演奏を聴いても自分にはなんだかよく分からないばかりか、同じような固いピアノの音の洪水が延々と続き神経に応える(弦楽四重奏曲のop133の大フーガはもう少し楽しめる)のですが、バックハウスの録音だけは何だか弾力があって生ている感じがして自分にもちょっと分かる気がしたので。

http://public-domain-archive.com/classic/download.php?album_no=105

このサイトに、ブラームスの2番の協奏曲のふるい方(1939年)のベームと競演した録音があるのですが、何だか表情が細やかで豊かな良い感じですので自分は気に入っています。
http://public-domain-archive.com/classic/download.php?album_no=282
蛇足ですが、最近の私です。
IMG_1596.jpg

テーマ : 邦楽
ジャンル : 音楽

Tag:音楽  Trackback:0 comment:8 

桃色授業参観日

小生は、自由業で平日でもある程度時間が自由になるので、時々、幼稚園、小学校の母親向けのイベントにも男一人で参加する。幼稚園へ車での送り迎え(バス通園は高いのだ)も粘土だらけの作業着で散々やった。

幼稚園の次女のクラスメートの父親など大体30代中頃ぐらいまでで、自分から見ると子供っぽいぐらいで、(それに対して母親はしっかりしていて随分大人だ)どうも、女だらけの参観日など、たまたま休みであっても恥ずかしくて来れないという話も時々聞く(それでも稼ぎは自分より上だったりするのだから侮れないのだが。。。)が、そこは50がらみのオヤジであるワタクシ、気が弱いとは言っても年の功と安心感で結構母親達とも冗談を言い合ったり出来る、人気者とは言えないかもしれないが、すくなくとも自意識でガチガチになるということはない、人嫌いの自分としては例外的に楽しいのである。
なんと言っても、これからまだまだ子供を産みそうなホルモンがムンムンしているところはワクワクするのである。
実際は、少子化の時代、それほど生まないのではあるが。。。。

幼稚園は、保育士の養成に10年近く関わったので、若い女性保育士の気持も理解できるつもりでおり、自分の娘みたいな年の先生とお話しするのは実にたのしかったが、親しくなった先生には元短大幼児教育科美術非常勤講師の過去をさりげなく話してあるのは言うまでもないイヤらしいオヤジであるところのワタクシである
ちなみに、エプロンをつけてたくさんの幼子の世話をする若い女性の姿は非常に男心をそそるもので、教え子達は、気の荒いやつ、意地の悪いやつもいっぱいいたが、例外なくもてるようだった。

そう言えば、死んだ父も、ことあるごとに私の通う木造校舎の小学校に赤いシャツを着て現れ、ある時など、クラス全員の児童・母親の前で「ここにいる女の人を全員裸にしたら面白いだろうな。アハハ」と言い放ち、お母さんがたの嬌声と小2の私の赤面と絶望を誘ったものだ。
穴があったら入りたいとは、このことであったが、お母さん達が怒らないのが不思議でたまらなかった。
その後、友達に「お前のお父さん、お母さんの裸の彫刻を作っているんだろう」とはやし立てられて閉口したが、今思うとあれが伏線だったんだな。
その頃は、エロ雑誌の切り抜きを見て売り物の小品の裸婦は作っていたがお袋はモデルにしてはいなかった。
言い出したのは、川向こうの教育熱心なこざっぱりした家の身体のでかい倅と記憶しているが、以前同窓会で会ったが、有名国立大学の教授になっておった。
数年後、小学校高学年になって本当にお袋の裸の写真を撮って精密に木に写す彫刻を作り始め「やっぱり」と目の前が真っ暗になったが、「あいつは、先見の明がある鋭いやつだな」と未来の教授氏のことを妙に感心したのを覚えている。
エレクトしたちんちんの付いた壷で自分の娘がいじめられないよう注意しようっと。

また、父は道で偶然あった幼稚園のグラマーな先生の一人暮らしの部屋まで、卒園後の自分(小1)とノコノコついて行き上がり込んで、帰宅後母親の激しい怒りをかったりしたこともあった。


ちょっと前のことであるが、私は近所の公園に植物を取りに出掛け、それを教室に持ち帰って、親が手伝って画用紙に貼り付けて押し花の絵を作るという小学校1年の娘の授業参観にいった。
大勢の子供と母親の中にいる一人の男ワタクシとしては「ボス猿」の本能が目覚めて、自分の娘はそっちのけで、群れの安全と平和が気になるらしく、母親の来ていない子供の面倒を見たり、場が和やかになるよう、つまらない冗談を言ったりする。
特に男の子の母親は自分の息子に夢中で、子供の作品を母親がほぼ作ってあげてしまったりするのだ(このときは、母親が来た男の子の絵だけに、植物で出来た具象物、お家や顔がカワユク出現していた。一人っ子のおいらもあんな風に母親に可愛がられて育ってきたんだな。)が、ウチの娘は、どこの子供でもある程度そうだと思うのだが、男親というのはそういうモノであるということを本能的に分かっているのだろう、放っておかれても別に平気である。
そういうときの冗談は、遺伝というのは恐ろしいモノで、艶っぽいのが口から出そうになるのだが、そこは女の子だし子供のころのトラウマが生きていて、今のところイヤらしいのは一度も言ったことがない。
それが出せればもっと盛り上がりそうなときも時々あるんだけれどなー

おしまい



テーマ : 子育て
ジャンル : 結婚・家庭生活

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ぎんよう

Author:ぎんよう
彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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