徒然草ー第百五十段ーロクロ

能(ノウ)をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られ じ。うちうちよく習ひ得(エ)て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と 常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸(イチゲイ)も習ひ得(ウ)ることなし。

未(イマ)だ堅固(ケンゴ)かたほなるより、上手(ジヤウズ)の中に交りて、毀( ソシ)り笑はるゝにも恥(ハ)ぢず、つれなく過ぎて嗜(タシナ)む人、天性(テン ゼイ)、その骨(コツ)なけれども、道(ミチ)になづまず、濫(ミダ)りにせずし て、年を送れば、堪能(カンノウ)の嗜まざるよりは、終(ツヒ)に上手の位(ク ラヰ)に至り、徳たけ、人に許されて、双(ナラビ)なき名を得(ウ)る事なり。



現代語訳
技能を身につけようとする人が「上手くないうちは、なまじ人に知られまい。内緒で習ってみにつけてから、人前に出るのが、心にくい」
とよく言うが、そんなことを言う人は、一つも芸を身につけることは出来ない。
まだ、まったく下手くそなうちから、上手な人にまじって、けなされ笑われても、恥ずかしがらず、さりげなくスルーして努力するひとは、才能がなくとも、さぼらず、いい加減にせず、年を重ねれば、才能があっても努力すないひとより、ついに上手の境地に達し、芸の格も上がり他人に名人と認められ、名声を博するのだ。


やった、これは銀様のためにあるような、言葉だ~
最初に陶器市に参加したときは、陶彫や置物中心だったのですが、その時に、師匠に「器もやってみれば」という言葉を頂き、本格的に初めて4ヶ月ほどで出品してしまいました。
それが、陶彫は一つも売れなかったのにかなり買ってくださる方がいて、はまったのです。
まあ、その4ヶ月で、寿命が5年くらい縮まった気がしましたが。。。

自慢じゃないですが、小生は、ロクロの練習をしたことがないです。
没にするのは多いですが、全部、製品にするためにロクロをやります。

京都の専門学校では、最初の一年は陶土で磁土は触らせて貰えないらしいのですが、小生は最初から磁土でありました。
一点一点時間はかかりましたが、8寸ぐらいの鉢は無理矢理挽いてました。

そのかわり、模様はブリブリ、気合い入りまくりでしたよ。
力のある模様は、器を少々の形のキズなど関係ないこの世のものでないモノにしてくれるのさ。

と、良い気分でいたら続くこの段の結び、

天下(テンカ)のものの上手といへども、始めは、不堪(フカン)の聞(キコ)え もあり、無下(ムゲ)の瑕瑾(カキン)もありき。されども、その人、道の掟正( オキテタダ)しく、これを重くして、放埒(ハウラツ)せざれば、世の博士(ハカ セ)にて、万人(バンニン)の師となる事、諸道変(シヨダウカハ)るべからず。


現代語訳
その道の天下の名人といえど、初めは、未熟の評判があり、ひどい欠点があるものだ。
でも、その人が、その道の掟を正しく守り、放埒なことをしなければ、世の中の師匠たるべき人となることは、どの道でも同じである。

私は、まあ技術的には色々な方に進んで教えていただくし、参考書も読みまくって、結構謙虚ですが、内容は「放埒」というほどでもないかもしれないけれど、「道の掟」は正しくしてないよな~
完璧に自己流だからな~

というわけで、最初の陶器市に出品したものを。
これは、天草の特上の磁土を恐いもの知らずで苦労して挽きました。
土揉みが割れて来ちゃって全然出来ず、袋から出したまま分厚く挽き、半分以上削り落としてなんとか器の形にしました。
下手ですけれど、愛着あります。

染め付け磁器小壷別角度
磁器染め付けぐい#21534;み
磁器染め付け鉢




ついでに、銀の生まれて2個目に作った器をアップしますのでご笑覧。
これは、窯を買う前で、さすがに売るためではなく、楽しみで作りました。
当時、勤めていた女子短大のかわいい娘達に陶芸を教えるために、自費で町の陶芸教室に通っていたころです。
性能の良い手ロクロを勢いよく回して、ヒモ作りの原型をのばしています。
粘土は普通の信楽です。

IMG_2044.jpg

既に、銀になってますな。
なに、今よりましだって?







(訳は銀が適当にしたので、信用しないでください。)


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パソコン、陶磁器、亡父、「作品買ってくれー」

しつこいですが、私が陶磁器をはじめたいきさつ。

某女子短大に非常勤で勤めていたころ、しっかりとした2の腕がイロっぽい助手のオネーサンと放課後の教室で世間話してました。
ふと二人並んでで3階の造形室の窓からしたをみおろすと、なにやらボロッチイ小屋が。
「せんせい、あの中には陶芸窯があるんです。陶芸やりたいなー、
私が学生のころは、随分やりました。」
これが、小生が世の中に陶芸というモノがあると言うことを気づいたはじめての瞬間でありました。


その後、授業に陶芸を取り入れるべく町の陶芸教室にかよい、初めから華麗な模様を展開して奥様方の人気者になり味をしめたのですが、しばらくして、短大をクビになりました。
ゲーダイ出の博士さんの造形担当専任講師が某美大へ春休み中にイキナリにご就職、後釜は私はキャリアが貧弱すぎて相手にされず当然またお偉い方ですが、決まったのは夏過ぎ、着任は新年度からと言うことで、専任不在の一年間、自分が造形の責任者的立場を手当無しでやりました。

サービス残業の山、週二日でしたが、大抵一番あとまで学校に残っていました。
非常勤の立場上、会議に出席できないなかで、保育科の方針を読むのは小生には無理で、思わぬクレームのオンパレード、
「作業の騒音が他の授業の邪魔」「造形室が汚すぎて、高校生の見学者に見せられない」「先生の作業着が汚すぎ。。」数えればきりがない。
事務にも嫌われてクビ。

娘らに甘すぎて大した教師ではなかったのは事実ですが、美術家の保育科教師で幼児教育の理論書をチャンと読んでいたのは俺だけだと思うよ。
最後に、一緒に卒業する生徒達が全員で、私独りのために歌を歌ってくれて花束をくれた。みんな、泣いとった。俺も泣いた。

これで、一時は週3日(年単位で)で月40万の収入(2年間だけだったが、ある方のおかげで、アルバイトの頂点をなんの苦労もせずに極めたと思う)を誇っていた、嘱託の副職を全て失った。
教員免許はないし、短大の職はもうないべな、どうすっぺ、彫刻は売れねーしな。。
その時に登場したのが、当時ウマウマと有名女子短大の保育科の専任の職にありついていたユビキタのホ*キリ社長。小学生のころよりの悪友です。
あいつは偉いよ、自分のいた短大の専任教師は、週4回ご出勤で早々引き上げるくせに「雑用で、授業の準備も、研究も出来ない」と非常勤にこぼしていたが、ホ*キリは「大学教師は、既得権益のかたまり、会社勤めに較べりゃ天国だ」とよく分かっていた。
で、ホ*キリはクビとなったことを知ると、小生にmacのノートをプリンター複合機とともに、officeとともに一式揃えて持ってきてくれた。「これで、世界を広げなさい」ということだったようだ。

生まれて初めてのパソコンでちょうど夏であったが、蚊に食われても掻くことも忘れてそのまま痒くならないで治ってしまうくらい集中してあっと言う間に習得し、買って一ヶ月で次の短大講師のデジタル願書を書き(勿論、落ちた)数ヶ月後にはHPもたちあげていた。

小生は、長らく変な木彫か油絵しか能のない出来損ないと思いこんでいたので、パソコンなどというキラキラしたものが自分で習得できると言うことに非常に驚いた。
海外旅行がさかんだったバブル期にも外国に行く勇気がなくて、外国語は漢文と古文でまにあわせようと、史記だの源氏だのを読んでいた私でしたが、
パソコンで「自分は、結構学習能力あるんだ」と、自信がついたことが、陶芸窯を買い、陶磁器を本格的にはじめた一因というわけです。
ラジカセのア*ワのデザイン室顧問の時代もみんながmacを駆使してデザイン画を描くのを横目に「俺には覚えられるはずがない」とふんぞり返っていたのだが、、、
その後も、各地の窯業指導所に教えを請うたり、粘土を購入したりするのに、パソコンはなくてはならない、小生の陶磁器生活の必須アイテムです。
釉を勉強するのにもぜーゲル式が簡単にできます。

ちょうど大学をクビになるのと前後して、有名木彫家のオヤジが首を吊って死んでしまった。
その後、自分の今まで考えてきたこと、オヤジとのことなどが全て盛り込まれた大作「無垢の人」を、当時オヤジの遺作を売ったお金がまとまってあったこともあってそれだけに10ヶ月ほど集中して作り上げたのですが、個展で発表し、もう木彫はこれでいいかなという気持ちにもなり、オヤジを思い出してしまうのもイヤで陶磁器を本格的にはじめたと思います。
まえから、オヤジが死んだら自分は彫刻やめるのではないかなと漠然と思っていましたが、図らずも当たってしまいました。
やっぱ、オヤジは偉かったと言うことかなー

まあ、今でも陶器で彫刻は作ってますがね。

あと、最愛のカーチャンが、あの時「早く、窯かって、教室なり、売るなり始めなさい」といったこと。
木彫家としての私に愛想がつきていたか、あまりに木彫を作ることに苦しそうな自分を救いたかったか、多分両方だと思います。

窯はオヤジの横山勝也氏制作の尺八やら、カルチェの腕時計やらコンタックスやらを売ってお金にして買いました。

また、陶芸の修行がある程度出来たのも、生前ほとんど売れなかった父の大作がショッキングな死のどさくさに紛れてお金に出来たことが大きいです。
多分もう他の分野へ移る金銭的、精神的余裕は死ぬまで無いと思うので、皆様、銀窯の器、陶彫、細工物をよろしくお願い申し上げます。

そして、そんなこんなの、最初期の幸福な時代を終えて、また木彫家時代と同じような苦しみが始まりつつある今日この頃です。
みんな作品買ってくれー



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バブルのころ

バブル最盛期、私は父の木彫小品の下彫りをしていたのですが、売れて売れて、一時は弟子が自分を入れて5人もいました。
彩色した松尾芭蕉やら利休やらの一尺5寸ほどの肖像が200万~300万くらい(売値)で一年で10~15も売れた。
星取機と言って、トースカンのもっとフレキシブルにした見たいなやつですが、それを使って石膏の原型を楠の木に彫り写す。
西洋で原型から主に大理石に置き換えるのを目的に開発されたのですが、木だと、途中で木が暴れて変形するからスピードを要求される仕事でしたが、イヤイヤやっていたので、そんなに早くなりませんで、一つ2週間ぐらいかかっていたと思います。上手い人だと、1週間ぐらいの仕事です。

IMG_0956.jpg
「星取り機」
先の針で原型表面上の無数の点の位置を記憶してそこまで木に穴を掘り、その穴の底をつないでいく。


星取り機でほぼ原型と同じ形にしたものに父が大きく手を入れて(小作り)、最後、表面を彫刻刀で仕上げるのも任される。
顔の仕上げは父。
仕上げは刃物の研ぎは好きだったし割合上手かったと思います。父の道具も砥がされていました。
彩色もやりましたが、どいうわけか父は木彫家なのに彩色が好きで自分でやる事も多かった。

他のお弟子に較べて仕事時間がみじかいお坊ちゃま待遇で月20万以上もらっていた。
そんな不真面目な弟子でしたが、6人ほどの父の弟子の中で、私より活躍している人はいますが、明治以前の風俗の像をまがりなりにも今でも造っているのはなぜか小生だけです。(恵比寿、達磨など)

ロダンの大理石は職人か弟子が星取り機を使って彫っています。
デスピオがロダンの星取りをしていたと言うのは業界では有名なはなしです。

さて、「お前はオヤジの下彫り工か!」とかバカにする人もいてやめようかと思っていたころ、ある巨大家具やさんのタウンアート事業部なる、街に彫刻を置く部署に勤めていた大学の後輩カ*ラが美味しい仕事を持ってきてくれた。
葛西の公園にブロンズ像。250万。十和田湖の高村光太郎の彫刻のイメージで2体組の女性像とのこと。

予定日までに張り切って作って、設置にいこうとすると、カ*ラと同僚のyから電話がかかってきて、まだ展示施設が出来ていないから待ってくれとのこと。その待ってくれが2回ほど重なって、いよいよ持っていくとまだ展示台の作業中でしたが、その職人達を見て驚いた。
全員よぼよぼのじいさん。
要するに、その当時は、あっちでもこっちでも工事していて、人手が足りなくて、足りなくて、じいさんまでかり出され、それでも花壇がまわりを囲むレンガをあしらったステキな展示台が遅れてしまったらしい。
これが、その彫刻。
Inbox20.jpg
「日の光」鈴木厚作 いろいろ問題はありますが、大らかで割と許せる仕事ではあります。

設置の時に展示台の作業のじいさんに「おっぱいがでかいな」と言われて何だか物凄くはずかしくモジモジしてしまったのが変な思い出です。

2体組の両方を同じ原型から鋳造しないで二つ原型を作るとお施主の区のお役所に調子よく言ってしまって、二つ石膏で作ったのですが、後の方がどう頑張ってもパワーが出ず、背中向いている方がちょっとショボイです。なんで二つ同じようなのを作ると後の方が生きてこないのが分からなかったのか。
デッサンの段階で、このポーズで役所に承認をもらっていたのですが、立体にしてみるとは手のひらを合わせての方が良い気がしたのでそうしたら、役所の人がアトリエに見に来て、「デッサンのとおりでないとまかり成らん」と言われて当初の計画どおりに戻したり、もっとショートカットだったのだが、もう少し髪の毛を増やしてくれとか言われたりしました。
反論しようとしたら、その才能を少し嫉妬していたほどの前衛美術家でもあって、グランパスのピクシーに似た長身ハンサムボーイ、カ*ラにシーッ!のポーズで制せられてお役人の言うことを聞きました。


鋳造後の磨き、色つけ等の仕上げを自分だやったのですが、鋳物屋の工場に行くと、身長3mほどもあるようなでっかい石膏原型が林立していた。みんなどこかの地方自治体発注の記念像で日展系統の彫刻家が作っていたモノと思うが、烏帽子かぶっていたり、かみしも着て刀差していたり、勲章下げていたり、おっぱい出して空飛んだり「百鬼夜行」であった。
まさに、日本の前近代の怨霊が歩いているようで壮観でありました。


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徳川家康」バブル期の銅像はほとんどくだらないと思いますが、これは良いと思いました。どうも彫刻家の作ではなくて、金工家が鋳造せず直接金属を加工したらしいです。写真では分かりづらいですが実に楽しそうに各部が作られています。ちなみに下の石のかめは大学の時の同級生ウメとナッペが作っていますがこれも良い出来でした。江戸東京博物館前にあります。


で、彫刻の代金250万ですが、ブロンズ鋳造費をとって大体180万くらいは残ったのですが、下彫りも続けていたし、バカ息子は家に住んでいたのに生活費も入れずノーノーと暮らしていたので、楠の原木と刃物も多少は買いましたが、ほとんど、お小遣いにして、その頃つきあい始めていた家内と毎週のように御徒町の朝鮮人街に行って焼き肉を食い、大塚や鶯谷のラブホに行っている内にいつの間にか無くなってしまいました。

その後、結婚前に、自分でも売るための木彫小品を作り始めましたが、景気も悪くなるし、値段が安い上に木の達磨一つに2ヶ月もかかるし、これだけではやっていけなかったのですが、1995年頃の結婚と同時に、ひょんな所からある方にお世話になって、教職、顧問職を得てまた、しばらくは悠然と暮らせたわけですが、父の方は、バブル時に付いた贅沢の癖が直らず、木の小品は値段を上げすぎてしまっており、バブル崩壊後パタッと売れ行きが止まり、先物に引っかかったり、借金がかさんで追い込まれていってしまいました。


scan20040609_172136.jpg
「片履き達磨」小生作の木彫小品です。新潟にお嫁入りしています。ひたむきですね。


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UFOか?謎の大怪音

美大時代多分4年生(留年したので5年目)の冬のことでありました。
小生は、元八王子町の大江健三郎の小説に出てくるようなと言ったら少し大げさだが山の谷間の奥、東京造形大学(その頃は、今の多摩美の横の校舎でなく、高尾であった)のバズターミナルのすぐ横の長屋に下宿していた。
ある寒い夜中、過保護のせいの寒がりと内陸性気候で室内のお茶が凍る寒さの八王子の冬に分厚い布団を三枚も掛けて独りでねていたのだが、物凄い音に目が覚めた。
ボーン、ボーン、ボーンと生まれてこの方聞いたことのないタイプの大音響。
これは、なんだ!バスターミナルに、UFOがおりたか。
しばらく、おんぼろベットの上で身を固くしていたのだが、一向に音は鳴りやまない。すっかり目が冴えてしまって、眠るわけにもいかない。
自分は、多分好奇心だったと思うのだが、そっと起きあがり、おんぼろダウンを羽織って、抜き足差し足、部屋のドアを開けて、バス停の横の土手のかげに身を隠して近づき、そおっと頭を上げて様子を見ると何もない。
街灯が煌々といつもの夜のようににアスファルトの広場をてらしている。
その間も、ひっきりなしに聞こえる、ボーン、ボーンの大音響。
耳を澄ますと、音はどうやらバスターミナルから坂道を校舎の方に行ったところの竹林の方から聞こえる。
誘われるように、身をかがめながら、足早に竹林の方へ。
音はますます大きく、耳をつんざくほどのボーンボーンという音であったが、音源と思われる場所にたどり着いたが、宇宙人も、妖怪もかぐや姫もいなかった。
既に、恐怖感はなく、大音響の中、たくさんの大きな竹の切り株がボコボコ、クレーターみたいに街灯にてらされている中にしばらく呆然と立ってから、下宿に帰り、すぐ眠ってしまった。

翌々朝、新聞を見ると、元八王子町の謎の大音響が地方版に出ていた。
どうやら、強風が竹の切り株に吹き込むと、風の具合で、ごくまれに尺八みたいに音が出るらしいとのこと。

読者の方にはばれているかと思いますが、小生は肝の据わった人間とは到底言えぬ小心者で、飛行機が恐くて外国には一回だけ、具合がちょっと悪いとすぐ検査で女房と医者に笑われる人間ですが、人間というのは、訳の分からぬものがあると、恐怖心はどこかへ吹き飛んで、正体を確認しなくてはいられない好奇心のある生き物であると言うことが分かった事件でありました。
テーマ : 雑記
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Tag:つれづれに  Trackback:0 comment:8 

展覧会のお知らせー新しい生活の提案展ー 

展覧会のお知らせです。

美術大学出身作家による
=新しい生活の提案展=

2009年1月14日(水)~20日(火)
午前10時~午後8時 最終日は午後5時閉会
日本橋高島屋7階ギャラリー暮らしの工芸

小孫哲太郎(陶器)
鈴木厚(磁器)
長瀬渉(陶器)
永井佳奈子(金属)

scan057.jpg



陶磁器ではじめてのデパートでの展示です。

小さな彫刻や器ですが、自分なりにやりきった仕事ばかりになるかと思いますので是非いらしてください。

銀窯染め付け磁器皿

テーマ : 陶芸
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

ぎんよう

Author:ぎんよう
彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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