幻の名フルーティスト、ハンス、ペーター、シュミッツさんの映像
Hans Peter Schmitz(1916~1995)さんは、「演奏の原理」「クラシック・ロマン派のフルート奏法」などの著書でフルート演奏家には親しみのある名前かと思います。
1943年フルトヴェングラー指揮下のベルリンフィルにソロ・フルーティストとして入団、1950年までその任にありました。
その後、一線の演奏活動からは遠ざかりデトモルト国立音楽大学等で後進の指導に当たりました。
日本にも、講習会、芸大の客員教授などのため、来日しています。
芸大の客員教授はわずか3ヶ月であったようですが、たまたま家内の鈴木祐子が指導を受けて、現在に至る影響を受けたと言うことです。
誰も見たことがないというシュミッツ先生が演奏する姿と思われる場面を、フルトヴェングラーが指揮するブラームスのこの映像は捉えています。
(終盤、4分過ぎから)
音源は、バロック音楽のアルバムがCD化されましたが、現在は入手困難とのことです。
バッハなどは今聴いても、端正で内容のぎっしり詰まった聴き応えのあるものです。
バッハ演奏の映像はムラマツフルートで入手できるようです。
1943年フルトヴェングラー指揮下のベルリンフィルにソロ・フルーティストとして入団、1950年までその任にありました。
その後、一線の演奏活動からは遠ざかりデトモルト国立音楽大学等で後進の指導に当たりました。
日本にも、講習会、芸大の客員教授などのため、来日しています。
芸大の客員教授はわずか3ヶ月であったようですが、たまたま家内の鈴木祐子が指導を受けて、現在に至る影響を受けたと言うことです。
誰も見たことがないというシュミッツ先生が演奏する姿と思われる場面を、フルトヴェングラーが指揮するブラームスのこの映像は捉えています。
(終盤、4分過ぎから)
音源は、バロック音楽のアルバムがCD化されましたが、現在は入手困難とのことです。
バッハなどは今聴いても、端正で内容のぎっしり詰まった聴き応えのあるものです。
バッハ演奏の映像はムラマツフルートで入手できるようです。
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夫の夢、妻の夢、義母の夢
銀は時々、個展の搬入当日になっても作品が全然出来上がっていないとか、車のチャーターを忘れていたとかで、あたふたするイヤな夢を見ます。
今日、実家に行く準備であたふたしている笛吹の家内に無理矢理聞いてみたところ、家内も演奏会の当日になって全然知らない曲をやる羽目になるとか、楽器が無くなってしまうというような夢を見ることがあるらしい。
で、違うのは、銀もどういう訳か笛吹になっており、全く吹けないのに舞台に立つ悪夢をみるのですが、家内は彫刻家や陶芸家になって展覧会や制作上のトラブルにあう夢は見たことがないという。
そういえば義母もフルートを吹けないのにフルートを持って舞台に立つはめになる夢を見ることがあるらしい。
銀は「これは愛情の差かもしれん。愛情が今ひとつだから夫の職業である美術家になった悪夢を見ないのだ、それが証拠に義母さんは実の娘の職業であるフルーティストになった夢を見るではないか。やっぱり女性は男より我が子かな。」と思わないでもないでした。
でも、単純に自分がCDおたくで音楽家にあこがれているから、舞台に立つ夢を見るのに対して、家内は音楽家であることに自足していて、美術家にあこがれたりしないからとも思う。
音楽家とはそういうものなのかな。
余計なことをウダウダ考えないのが祐子さんの素晴らしいところでもある。
もちろん、妻は決して模範的とは言えない自分に対して十分よくしてくれているのは分かっています。
義母は切に娘を心配しているのだと思う。
ずいぶん前に講師をしていた公民館の彫刻教室で、「自分の一番愛する物を作ってみよう」という課題を出したことがあります。
じいちゃん達はばあちゃんの像を造る人がほとんどでした。
可愛いではないか、じいちゃん達。
70近くなっても女房を愛しているのだ!
それに引き替え、奥さんやばあちゃんは旦那やじいちゃんを造る人が一人を除いていませんでした。
ほとんど、子供か孫、あるいは犬。
娘時代は結婚にこだわるのに、子供が育っててしまうと旦那は少なくとも一番ではなくなります。
女性は本質的には夫より息子か娘だ!とつくづくと思い、当時独身であった自分は結婚するのがイヤになりました。
あるいは、男というのは妻に興味を無くさせるくらいダメなものなのかもしれないとも思いました。いずれにしろ結婚生活及び人生におそれを感じた記憶です。
例外だったのは、絵描きさんの奥さんが旦那さんの像を造ったこと。
今日、実家に行く準備であたふたしている笛吹の家内に無理矢理聞いてみたところ、家内も演奏会の当日になって全然知らない曲をやる羽目になるとか、楽器が無くなってしまうというような夢を見ることがあるらしい。
で、違うのは、銀もどういう訳か笛吹になっており、全く吹けないのに舞台に立つ悪夢をみるのですが、家内は彫刻家や陶芸家になって展覧会や制作上のトラブルにあう夢は見たことがないという。
そういえば義母もフルートを吹けないのにフルートを持って舞台に立つはめになる夢を見ることがあるらしい。
銀は「これは愛情の差かもしれん。愛情が今ひとつだから夫の職業である美術家になった悪夢を見ないのだ、それが証拠に義母さんは実の娘の職業であるフルーティストになった夢を見るではないか。やっぱり女性は男より我が子かな。」と思わないでもないでした。
でも、単純に自分がCDおたくで音楽家にあこがれているから、舞台に立つ夢を見るのに対して、家内は音楽家であることに自足していて、美術家にあこがれたりしないからとも思う。
音楽家とはそういうものなのかな。
余計なことをウダウダ考えないのが祐子さんの素晴らしいところでもある。
もちろん、妻は決して模範的とは言えない自分に対して十分よくしてくれているのは分かっています。
義母は切に娘を心配しているのだと思う。
ずいぶん前に講師をしていた公民館の彫刻教室で、「自分の一番愛する物を作ってみよう」という課題を出したことがあります。
じいちゃん達はばあちゃんの像を造る人がほとんどでした。
可愛いではないか、じいちゃん達。
70近くなっても女房を愛しているのだ!
それに引き替え、奥さんやばあちゃんは旦那やじいちゃんを造る人が一人を除いていませんでした。
ほとんど、子供か孫、あるいは犬。
娘時代は結婚にこだわるのに、子供が育っててしまうと旦那は少なくとも一番ではなくなります。
女性は本質的には夫より息子か娘だ!とつくづくと思い、当時独身であった自分は結婚するのがイヤになりました。
あるいは、男というのは妻に興味を無くさせるくらいダメなものなのかもしれないとも思いました。いずれにしろ結婚生活及び人生におそれを感じた記憶です。
例外だったのは、絵描きさんの奥さんが旦那さんの像を造ったこと。
素晴らしい牛


ネットでひょんな所から発見しました。
子供が小さなサボテンを購入してきて、でっかいサボテンが話題になり、巨大サボテンを探していたところ、北海道の美容院に店のシンボルとしてあるらしいところに行き着いたのですが、もうひとつこの牛が飾ってあるとのことでした。
この牛の彫刻、どなたがこしらえたか全然分からないのですが、好きだな。
きっと、若い彫刻家がアルバイトで造ったのだと思いますが、ホントに生き生きしている。
仕事は荒っぽいし、下手なところかっこわるいところも目につきますが、東京都美術館で開かれている日展等の公募展にはまず出てこない強い生命力を持った作品だと思います。
美術館やギャラリーでなくても良い作品はいっぱいあります。
自分の目で、それを発見できる人が増えればどれほど楽しく豊かな文化が育つことだろう。
札幌にお住まいの方、美人になりがてら見に行かれては、いかが。
お店のブログはこちら
http://www.andersensapporo.jp/blog/
牛があるのは、
アンデルセングループni-at 店
したは、長女が買ってきたサボテンです。
名前はトゲリンです。

この頃の私=染め付け=
染め付けをしています。
素焼きの磁器素地の上に呉須という絵の具で絵を描き、その上に透明の釉をかけて、1300度近い高温で還元焼成して仕上げます。
今は、絵の具に入っている鉄分、マンガンなどの色で茶っぽいですが、焼くといわゆる青花という藍色に発色します。
銀は、下絵を使わず、行き当たりばったりに描きます。
一個一個かなり違います。
物凄く時間がかかるので苦しい。



素焼きの磁器素地の上に呉須という絵の具で絵を描き、その上に透明の釉をかけて、1300度近い高温で還元焼成して仕上げます。
今は、絵の具に入っている鉄分、マンガンなどの色で茶っぽいですが、焼くといわゆる青花という藍色に発色します。
銀は、下絵を使わず、行き当たりばったりに描きます。
一個一個かなり違います。
物凄く時間がかかるので苦しい。



常総市の坂野家

昨日、妻の仕事の帰りに寄った、茨城県常総市の史跡坂野家。
板谷波山の映画や、山口百恵の野菊の墓のロケに使われたということだ。
常総市は取手とそんなに離れていないのですが、寒かった。
まだ、桜も散り残っていた。
坂野家は江戸時代からの屋敷ですが、分厚いかやぶき屋根がすごい。
軒のところに地層みたいに層になって断面が見えるのだが、大迫力であった。

一緒のピアニストMさんがこんなでっかい家にこんな小さな女中部屋?と憤慨していた。。
確かに窓もない、北側の4畳半ほどの真っ暗な部屋であった。
Mさんは、こういう旧家を見ると、見たことがある、知っているものだ、と思ってしまうともおっしゃっていた。
確かに、自分の中の何か記憶がよみがえる感じは大いにした。
どこで見たのか全く分からないのであるが。

屋敷の外の竹林。
一帯が、文化施設として管理されている。
帰りの車中、オシャレな町並みの守谷のあたりで「ここいらなんか臭いぞ、イカ焼きの腐ったにおいだ。ブラジル人の働いていらっしゃる食品工場が壊れているに違いない。」と3人で騒いだのだが、いくら走ってもにおいが消えず、車が臭いことが判明、本日になって空調のダクトからイカ焼き臭い白煙を吹き始め、温度計がレッドゾーンに達し修理に出した。
最近、セルフのガソリンスタンドで入れているので点検してもらえないし、始業前点検などしたことがないからラジエータの水がないことに気づかないという危ないことになるのだ。