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プチロス

木村汎著 「プーチンー人間的考察−」藤原書店を読んだ。
きっかけは、ちょっと前、東京新聞のコラムで梅原猛氏筆のコラムでの紹介。
600ページ5940円もするので図書館に買ってもらおうと、いくつかネット上にある紹介文をコピペして要望書的なものを作ったのだが、調べてみたら、意外にも購入済みで、すかさず借りて、3週間ほどで読み終えた。
以下その梅原氏の紹介文。出版元の藤原書店のHPから。
「ロシアばかりでなくアメリカ及びヨーロッパのあらゆる研究書を読み、氏一流の人間観察力を駆使したみごとなプーチン伝」
「木村氏には作家的才能が十分あり、このプーチン伝は小説のように面白く読める」
「この伝記としてすぐれた書物がロシア語訳されることはあるまいが、もしプーチンがこの書を読んだならば激怒するにちがいない。(…)この書を書いたからには今後のロシア旅行は危険であると思われる。ひょっとしたらプーチンの魔手は日本にも伸びているかもしれない。私はこの書を書いた木村氏に満腔の敬意を表すとともに、くれぐれも御身大切にと忠告したいのである」

なるほど面白かった。勿論、残忍な様は多数例示されているが、陰惨な雰囲気ではなく、飄々と明るい空気感の本。
稀代の暴君を糾弾するより戯画化していると言ったらよいのだろうか。
引用だらけなのに、読みづらくならず、スラスラ読めた。
長くて面白い小説は読み終えるのが惜しくなるが、この本もそうだった。ちょっとした「プチロス」(=プーチンロス)。
作者はもしかして、密かにプーチンが好きなのでは?少なくとも自分の本の中に立ち上がってきたプーチン像に限っては。
とんでもない悪を作品中ではよしよしとてなづけて遊んでしまう事も出来るというのも、優れた文章表現の醍醐味なのだろう。

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デール・マハリッジ 『日本兵を殺した父」ピューリッツァー賞作家が見た沖縄戦と兵士達

Bringing Muligan Home=The Other Side of the Good War
Dale Maharidge
藤井留美訳

図書館で借りて読んだ。
作者の父親は、沖縄戦に海兵隊員として参加して、過酷な戦場での経験と爆風の脳しんとうの後遺症で、戦後、心に疵を残し、暴力衝動を抱いたまま子育てをした。鉄工の熟練工だった。
そんな父親の死後、著名なジャーナリストである著者は父の戦友を取材する。また、沖縄を訪れ、当時戦場にいた日本人、父親の遺品の中にあったパスポートの日本人の息子などを取材する。
年老いた元海兵隊員達への取材は周到で、読みごたえあり、『1940年代の日米の戦いは、帝国がもうひとつの帝国を攻撃した図式に過ぎない」と断言する作者の視点は公平だった。
アメリカ軍も積極的に捕虜をとって人道的に扱かったとは言い難く、必ずしも戦陣訓の「、生きて虜囚の辱めを受けず」等、日本側の軍事教育で投降できず日本側の戦死者が多かったとは言えないようだった。
捕まえた日本兵、民間人を殺したり、強姦などもあったという。ただ、そういった行為は軍法会議にはかけられるようで、容疑者は自らの足を撃って、戦場を離れたりもした。老いた元海兵隊員達の語る戦場の惨状と狂気の描写は迫真であった。
また、大体において、それ程成功したとは言えない彼らの戦後の生活の様子もリアルで、実は非常にうら寂しくもあるアメリカの雰囲気がよく分かった。
また、戦略上、マッカーサーが効率的に、補給路をたったり手薄なところを叩いたりと犠牲者を少なくすることを目論んだのに対して、ニミッツは昔風に、正面から殴り合う決戦主義だったらしく、ニミッツの考え方で動いた沖縄戦では、大変な犠牲者が出る事になったと言う作者の分析も初耳で興味深かった。
本書の主要部分である、父親の戦友だった海兵隊員達への取材の部分は最高だったのだが、
、作者自身の育った家庭を語る場面では、精神分析的に父親の戦後の荒れた状態を戦争体験に結びつけているが、分からないでもないが、本当のリアリティーには欠ける気がした。類推は出来るが、親といえど他人の心はあくまで不可思議であることが前提だろう。
最後の沖縄の人々への取材では、「日本兵の方がアメリカ兵より酷かった」等、アメリカ人の作者に好意的だ。
その辺りの交流は美しく描かれているが、異国の人が遠くからわざわざ来れば、相手の感情を害することは言わないだろうなあ、という感じもするし、沖縄人の戦後日本へ不信感、言語や文化の壁もあって、そう単純な話しではないだろう。
作者の視点は一貫して、シリアスで善意に満ちているが、取材する気持ちとすると、こんな凄い話し聞けちゃったという、戦後に育った多くの人が見ることのない悪魔の住む深淵を覗けたとい言う喜びもあったに違いない。
それ自体は悪いことでは全く無いのだが、まとまった書物とすると、自分の知りたがりと突撃精神を嗤うユーモアのようなものも欲しい。

追記
日本軍は強いと言うのを、この本読んで実感して、正直ちょっと嬉しかったのを、書き忘れた。
元海兵隊員達も心底恐れていたみたい。
国力がもう少ししっかりしたらどうなったかと思う。ソ連が入ってきた北方領土での最後の戦いでも、ソ連側の戦死者の方が多かったようだし。
こういう気持ちが戦時では盛り上がってくるのだろう。

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ジョンモリスの戦中日本滞在記

面白い本だった。
外務省嘱託で1938年に日本に招かれた,イギリスのインテリが,太平洋戦争開戦後、1942年に交換船で日本を脱出するまでの記録。帰国後すぐに書かれて刊行されたらしい。日本では慶応大学、東京帝大などで教鞭を執った。
大平洋戦争開戦後、日本を出るまでに拘束されなかった、ほぼ唯一の英米人だったという。
親しいアメリカ人ジャーナリスト達が次々と拘束されるなか、日本政府に日本の政治的放送を手伝うことを提案されるがそれを勇敢に拒否するが、それでも、本人が当然恐れた逮捕には至らなかった。
「祖国への忠誠心は,日本人の誰もが理解していることですから、私がラジオの仕事を受けていたら、彼らは私を軽蔑したでしょう。彼らの申し出を拒否した私に何の処置も取らなかったと言うことは,彼らが同じ立場に立たされれば,やはり同じ態度を取るべきだと思っていたことに他なりません」とある。この男気と日本人への信頼が外務省嘱託という立場に加えて彼を救ったと言うことだろうか。
拘束されたアメリカ人、イギリス人、大使館関係者の本国送還が決まる中、心細くも取り残されるが、最後に出国の許可がおり交換船で帰国する。この辺りは本書のクライマックスであり手に汗握った。
戦争を遂行する軍部には痛烈な批判を加えているが、日本政府、学生、庶民には親近感と信頼感を持っており
真珠湾についての記事では『私は日本政府が良心に基づいた外交を行っていたと信じないわけに生きません。また、当時の日本軍が事前に政府の承認を得ず、攻撃を実行に移すことは充分にあり得ました。」とある。
勿論これは間違いで御前会議で決まったことである。
軍部が牛耳る大日本帝国官憲の言論、出版、行動への弾圧の描写は作者のユーモアあふれる文章で飄々とはしているが、やはり今では想像もつかぬ恐ろしさで、軍部のがリーダーが政治の実権を握ったらば、もうお終いと、つくづく思った。組織的に人を殺すことを訓練された集団の潜在的な危険、政治の大切さを痛感した。
また、当時の日本文化に関する記述も多い。評価が高かったのは戦争責任を問われることの多い近衛文麿の弟近衛秀麿の越天楽。雅楽を編曲したものらしい。西洋文化の影響が著しいものへは,演劇、音楽、レビュー、絵画など全てに手厳しい
絵画に関しては、キュビズムなどモダニズムは、もともと、東洋やアフリカ等非ヨーロッパの影響があって西欧で成立したものでもあり、それに影響を受けた戦前の日本のモダニズムにも独特の屈折した味わいがあるとおもうので、そのあたりは?であった。少し、西欧文化を自分たちだけのものと思う本場意識の狭量さは感じた。
なお、1940年の皇紀2600年の記念行事に、ブリテン、イベール、リヒャルト・シュトラウスが作曲を依嘱されていたというのは初耳であった。
ブリテンは、日本政府からの依頼の手紙の文章が難解で、祝典のものとは思わず、故天皇を偲ぶ曲と解して暗い曲調となり、演奏されなかったといういきさつが書かれていたが、wiki等ではちょっと違うので間違いかもしれない。シンフォニア ダ レクイエム。
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検証 戦争責任 読売新聞戦争責任検証委員会

2006年発行の本。
なかなか勉強になった。
特に、日中戦争、太平洋戦争の頃の軍部や政府の組織についてわかりやすく解説してあり、今まで、この頃に関する歴史書を読んでもさっぱりわからなかった、陸軍省、海軍省、参謀、軍令、などの役職、統帥権、天皇の位置などについての理解がかなり進んだ。
あの絶望的な戦争に進んで行かねばならなかった、大日本帝國中枢の組織の欠陥と軍人、政治家、皇族ら要人個人の責任について主に書かれていて目からウロコであった。
反面、読む前に想像したような、日中戦争当時の戦場での日本兵の残虐行為、略奪、性犯罪などの責任についての記述はほとんどなかった。
アメリカ軍による、原爆投下、東京大空襲、ソ連によるシベリア抑留など戦争犯罪と思われる連合国側の残虐性についての記述がほとんど無いことでバランスを取っているかのようであった。
東京裁判とは違う見方をしたいという意図があったようだが、東京裁判の歴史観を乗り越えるには、大変だろうけど、両方をもう一度正面から考え直さなくてはいけないのではないだろうか。
大新聞社という立場の限界と言うべきなのだろうか。
多少戦犯のメンツが変わっているだけという印象であった。
戦争を起こした日本側指導者の責任という意味での戦争責任という言葉なのである。


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文藝春秋

文藝春秋の8月号、図書館で読み始めたら夢中になった。
立場は反対なのだが、読んだところは圧倒的に面白いし、分かりやすかった。


目次をAmazonからコピペすると、

◎裏切りの中華文明研究
中国はなぜ平気で嘘をつくのか
特別寄稿 中西輝政

習近平 見えてきた独裁者の正体
――富坂聰連続対談
外交/内政/軍事/経済

緊急座談会
20XX年、米中もし激突すれば
榊原英資/春名幹男/麻生幾

●アフガン戦争 後方支援で苦心した元海将の直言 香田洋二(元自衛艦隊司令官)

●この人の月間日記

中田英寿「W杯観戦記
ブラジルで痛感したニッポンの限界」

歴史的発見を独占公開
●川端康成「投函されなかった恋文」
「伊豆の踊子」の原点の女性がいた

●グーグル、アマゾンに孫、三木谷は勝てるのか 川端寛

◎大型企画
「死と看取り」の常識を疑え
山崎正和/篠田節子
老いたら子どもと「縁切り宣言」を
「認知症高齢者」11人の手記を公開する
高橋幸男 医師

「噛みトレ」で寝たきりはなくせる 油井香代子

「若年性アルツハイマー病」になった50代元看護師の告白 藤田和子/聞き手・奥野修司

●現地ルポ

松山英樹 メジャーに勝つ力が自分にはある 柳川悠二

●「芙蓉の人」富士山より大きな夫婦愛 藤原正彦/松下奈緒

●名人復位独占インタビュー 若い世代に勝ち続ける思考法 羽生善治/聞き手・後藤正治

●息子・辰徳に狂気の体罰 原貢 78年の壮絶ケン

カ人生 松下茂典

◎NHK「花子とアン」白蓮事件 幻の告白手記が甦る

私と妻、白蓮のこと すべてお話しします
大正を震撼させた「道ならぬ恋」の全顛末
───宮崎龍介

独占インタビュー 私なら重い恋愛はゴメンです(笑) 吉高由里子
 
目次は以上。

巻頭の,立花隆、吉村萬壱、塩野七生らの小エッセイはみな秀逸。
その他、前半のいくつかをよんだ。

・「中国はなぜ平気で嘘をつくのか 」
特別寄稿 中西輝政
はなるほどね〜とはおもったのだが、なんかだか品が悪い感じがした。日本人は輸入された中華文明の粋を通して中国を判断していているが、実際の中国は違うんだというような事が書いてありましたが、筆者は漢文や中国美術を本気で見たことあるのかな?と漠然と思った。。。。

・「アフガン戦争 後方支援で苦心した元海将の直言 香田洋二(元自衛艦隊司令官) 」
自衛隊は憲法を守って行動することをたたき込まれている(迷ったら一歩引く、そして東京に問い合わせ)、また、海自はアメリカに次いで世界で2番の実力があるというような記述はよしとして、、、
国会で現場を知らない政治家達が具体的な事例を想定して論争するのは、机上の空論であり、原則が決まったら、現場に任せて欲しい、手足を過剰に縛らないで欲しい、みたいなところは、言いたいことは自分にもわかったけど、やっぱり疑問符。
文民統制なのだから、不測の事態が起こりうることを含めて徹底的に話し合うのが基本でないだろうか。


・「川端康成『投函されなかった恋文』『伊豆の踊子 』の原点の女性がいた 」
は凄かった。
川端には20代初めに、伊豆の踊子等のモデルとされる10代の恋人がいたが、結婚直前に理由を告げられずに絶縁された。
長いこと、伏せられていたらしいのだが、実は身を寄せていた岐阜の寺坊さんにに犯されたという。なんだか、日本の深い部分の暗さをのぞき見たようでゾクッときた。


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豊下楢彦著 集団的自衛権とは何か

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2007年出版で、第一次安倍内閣の頃の本です。
大変内容の濃い複雑なことを分かりやすく解説した本でした。
以下、記憶に残っているところを自分なりに要約しましたが、書いてみると所々曖昧。間違っていたらご指摘下さい。

冒頭に、「自らの敵がだれなのか、誰に対して自分は戦ってよいのかについて、もしも他者の指示をうけるというのであれば、それはもはや、政治的に自由な国民ではなくて、他の政治体制に編入され従属させられているのである」というカール、シュミットという人の言葉が引用されている。
言うまでもなく、戦後、日本は概ね米国の敵とするところを自らの敵と目してきた。残念なことに周辺アジア諸国とは信頼関係が築けず、アメリカを頼ることによってしか、安全保障がえられなかったのである。

その米国は自らの都合により”敵”を頻繁に替え、日本はハシゴを外される形になってうろたえる。
例えば、ニクソンショックと呼ばれる電撃的な訪中宣言であり、日本の頭越しにされる米朝会談などである。
また、米国は敵の敵は味方という安易な理屈で新たな敵を期せずして作り出してきた。アフガンへのソ連侵攻のおりに、パキスタンにイスラム急進派を集めて、軍事的支援を行い、アルカイダを結果的に育てたり、イラン憎しからイラクを支援してサダム・フセインを巨大化させてしまったのである。
また、国内のユダヤ人財界人に遠慮してイスラエルの核武装を黙認して、NPT(核拡散防止条約)の説得力を自ら弱めている。

日本は、米国の目で世界を見ることから離れて、北東アジアの国々と連帯して非核地帯を築くなどして、日本独自の立場から平和への発言をすべきである。
安倍首相が当時主張したように改憲して史上最強の軍備を誇る米国の要求に応えて集団的自衛権を我が国で認めても、自らの目で世界を見ることが出来ないのなら、米国との対等性などえられないのである。
結果的に、安部の言う自主憲法は米国に押しつけられたものになるのはないか。
岸内閣(吉田内閣だったかもしれません。すみません、忘れました。)の頃はそれでも、日本に基地があると言うことの重要性をてこに、米国の軍備増強の要求にたいして、かなりの粘り腰があったが、最近は言いなりである。


また、核兵器、細菌兵器などが、国家の管理を離れて、テロリストの手に渡る危険性なども分かりやすく記述されていた。

その他、非常に多くの示唆に富む内容があった。

その中で、ユダヤ人迫害に手を染めなかった日本は負い目が無いのだから、イスラエルにもの申せるはずだというような記述がありました。

これは私の意見ですが、2014年7月現在、イスラエルのガザへの攻撃が激化する最近ですから、日本政府は是非積極的にイスラエルやハマスにもの申して欲しい。
米国と組むこが前提の集団的自衛権を認める解釈改憲や、武器輸出3原則の緩和で発言力を自ら低めることになるのだったらば,慚愧の至りで、その面からもやめるべきです。

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河原宏著 日本人の「戦争」――古典と死生の間で

昔バブル盛んな若い時分、留学、海外旅行にみんな出かけたが、元々移動と変化が嫌いな上に、みんなが良いとすることに素直になれない自分は、「俺は、タイムマシンで昔に行くのさ」と1人で古典を読みまくっていた。
割と有名な彫刻家だった父も景気よく小品の個展は全てほぼ完売の状態で下彫りしていた自分も金に苦労はなかった。
世界の名作を濫読したが、中でも日本の古文は高校の時の古文の先生が素晴らしかったこともあって、かなり入れ込んで、大野晋先生の古語辞書を片手に、語源論までかじりながら源氏物語五十四帖もそれ程苦労しないで読み通したのだが、その後、景気後退時期に幼なじみの堀切君(当時、短大の専任教員だった)がヨドバシのポイントを駄賃にMac一揃えを持ってきてくれたのを契機にすっかり古文から遠ざかってしまった。
夏だったが、Macに熱中して蚊に刺されても掻くのも忘れるからすぐ痒くなくなるという具合で、あっと言う間に覚えて、その頃首になった短大の職を新たに求めるべく願書をいっぱい書いたがそれもデジタル(全て落ちたが)、HPも造り、ブログを始めて駄文を書くことに夢中になった。
そして、世に背を向けて変な彫刻を作るしか能がないと思い込んでいたのが、Macなどと言うキラキラしたもの覚えて、意外にある自分の学習能力に気付き自信がつき、ガス窯をその頃死んだ父の遺品(カルチェの腕時計など)売って購入、40代半ばで焼き物を始めたわけである。
反面、全く暇がなくなり、なにより面倒で地味な古文法に向き合う辛抱がまるでなくなった。
しかし、父の自殺のトラウマ、金銭面その他を考えると、あのときに、パソコンを始めないで、結果、あのまま変人彫刻家のままでいたらば、今、この世にいたかどうか自信が無いというと大げさだが、かなりの確率で家族はバラバラになったと思うので、まあ良かったと思う。古文は忘れてしまったが。

そのMacを買ってきてくれた堀切和雅君が編集、解説している本がこれです。
日本古典を取り上げながら戦争や日本を論じる重い内容ですが、戦争開始時期の日本の分析なども分かりやすくお勧めです
著者は堀切君の恩師だそうです。

河原宏著
日本人の「戦争」――古典と死生の間で(講談社学術文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4062921340

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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雨宮昭二著「占領と改革」(岩波新書シリーズ日本近現代氏7 2008年初版)

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雨宮昭二という人の「占領と改革」(岩波新書シリーズ近現代史7)2008年初版発行
と言うのを読んだ。
正直びっくり。
漠然とアメリカにもたらされたと思い込んでいた戦後民主主義社会というのが、実は、敗戦があれば、アメリカの占領政策なしでも実現した可能性があったというのだ。
例えば、平等(=平準化)は目的は戦争だが総動員体制のなかで実現し、プロレタリアートが生まれ、なんと戦犯岸信介が戦時中、今でもアメリカで実現出来ない、国民皆保険を作ったという。ほんまかいな。
その体制は、東条英機内閣で頂点であったが、このまま敗戦したら、ほんとに共産化する可能性があって、それを恐れた持てるものの権益を守らんとする自由主義派が打ち破って戦争終了の路が開けたという。
東条内閣当時の官僚は戦後社会党に入ったり、農地改革に腕をふるったり、実際の考え方に社会民主主義的な面があったと。
我々が思い込まされていたように決してアメリカさんの理想主義が実現した日本などというものでなく、意識的無意識的に日本人にそう思わせたことだという。
日本の占領統治は、その後、アメリカが世界各国に介入する時の独善的な振る舞いを正当化する格好の雛形になった。
憲法も政府の憲法問題調査委員会が準備したものは保守的でダメだったからGHQが拒否したと言われているが、今、見てみるとそうでもなく、立憲君主国とするとかなり進んだものだったらしい。また、民間にも優れた案があったと。


歴史や政治については、当然、限られた本やメディアからしか知識を得られない自分だが、 たしかに、 アメリカさんの独善と、放任資本主義、拝金主義、格差社会の弊害は確かにここのところ目にあまる感じはある。
それを、打ち破るヒントとして、協同主義と著者は呼ぶらしいのだが、戦後しばらくの間(講和条約の吉田茂の時代と違ってニューディーラー達の意向が反映されていたらしい)各地に存在した地域コミュニティーや組合などの、自発的な民主主義のようなものを上げている。協同主義というのが、どうも具体的にどうなんだかいまいちよく分からなかったのだが、芦田均の評価が高く、社会民主主義的もののようだ。他の本ではネットの可能性にも触れていた。
しかし、文学や音楽、美術、あの戦後アメリカ伝来の文化はチャラいかもしれないがやっぱり豊かだったと思う。なくなったら寂しい。
我々が生きてきた日本の空気感はやはりかなりの部分そこに由来していると言わねばなるまい。
そこが、アメリカの凄みなんだと思う。
そこまで、研究して貰えると我々軟派も心底納得できるんだが、誰にも無理な気がする。

ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」と正反対(とばかりは思えなかったのだが)の立場と著者自ら強調するこの本を合わせて読まれたし。
なお、小生は2回続けて読みましたが、理解力、知識の不足に複雑な時代のことで、上の要約は間違っている可能性は大ですので悪しからず。
テーマ : 今日の一冊
ジャンル : 本・雑誌

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「長谷川毅著 =暗闘=スターリン、トルーマンと日本降伏」とfacebookとtwitterとブログ

3ヶ月ほど前、高島屋展示会の前、もちろん震災前に書いたのすが、どうってことない読書感想文なのになぜか、まずいこと言っているような気がしてアップをためらっていました。売り上げに響くような気がして。
元々臆病な上に、久しぶりの展示会前と言うこともあって、神経過敏だったですね。
しかし、震災後、ツイッターやfacebookでみんなドンドンいろんな事いうようになって、どうやらブログ炎上という言葉も死語になりつつあって気楽になったのでアップします。
なんと、臆病でせこい私ですが、そうなんだから仕方がない(笑)
まあ、あんまり遠慮して何も言えなくなるのはダメですが、日本とロシアの戦死者に対しては、やはり慎みは持ちたいです。



以下、1月29日記
何回も推敲して一生懸命書いたもので。

長谷川毅著
「暗闘ースターリン、トルーマンと日本降伏」
>>>アマゾン
を読み終わった。
以前ブログで感想を書いた東郷和彦氏の「歴史と外交」のなかで、推薦されていたので読んだ。
この本は吉野作造賞、司馬遼太郎賞、英語版では、Robert Ferrell Award (the Society for Historians of American Foreisn Relations) と言うのを受賞している。
このくそ忙しいときによく読んだなと思ったのだが、あまりに登場人物が多い複雑な内容で、間を開けると投げ出しそうなので、休憩のたびに読んでいたら、4週間で読み終わった。まあ、教養主義がまだ自分の中に生きているのだ。

もう本当に忙しくなって来てて、丁寧に感想を書いている暇はなくなってしまったので要点のみ。
以下、図書館に返してしまったし、そもそも、読解力、歴史の理解力の問題で以下事実関係に間違いがあるかもしれないことをお断りしておきます。

日本のポツダム宣言受諾については、原爆投下より、ソ連の参戦の方が大きな力となったということが、日、米、ソの史料を丁寧に分析して描かれていて、予備知識のない自分はなるほどと思ってしまったのであるるが、ネットを見ると、批判もあるようであった。

自分が個人的に感心したのは、クリール(千島)諸島をソ連が占領するところ。
実は、クリールでのソ連の軍事行動は、満ソ国境の作戦に比べて、実に杜撰に計画されていて、日本軍よりもソ連軍の戦死者の方が多かったと言う。
確か1800人と1000人ぐらいだったと思う。
初期には奇襲なのに、誰かが勝手に砲撃して日本軍の猛反撃を食らってしまったり、積み荷が重すぎて、上陸艇が水深が2メートルもあるところまでしか近づけず、無線機器が水没して20個もあったうち一つしか使えなくなったり、
9月2日の降伏文書調印後の歯舞占拠では、アメリカの出方を見ながら司令部の指示があるまで待機の命令だったのに、連絡がうまくいかず、現場が勝手に占領してしまったりする。
もし最後まで戦えば、そう簡単には占領されなかっただろうということだ。
実を言うと、このあたりを読んだ時生まれて初めてくらいに、この問題について、悔しさを感じた。惜しいことをしたと。。ちょうど、サッカーの、ドーハの悲劇の時のような気持ち。。。
権謀渦巻く、ヤルタ密約等の帰結として生まれた北方領土問題は、ナショナリズムとも結びついて我々一般人が気軽に話題にも出来ない重っ苦しい話題だが、現場はドタバタであった。。
ソ連軍のずぼらがアメリカの黙認(ヤルタで約束してしまったから仕方ねーなという感じ)と日本軍の大本営の指令に律儀に服して整然と投降するまじめさに助けられて運良く占領してしまうこのクリール占領の章は、生き生きと描かれていて、正直面白かった。
この章は、この入り組んだ書物に一種のカタルシスをもたらしている気さえした。
北方領土については、内容はほとんど忘れてしまったが、歴史的に見て我が国固有の領土であると説明されていた。
スターリンも返還ではなく占拠であることを理解していて用心しいしいの作戦ではあったようだ。

日、米、ソの代表的為政者ついては概ね、事実のみをあまり論評なく描かれていて、読み進めるうちに、例えばスターリンの小心なんだか大胆なんだかよく分からない怪物的な性格、トルーマンの癇癪持ちみたいに、自然とその人の癖みたいのがよく分かってくるという感じだったが、
ポツダム宣言受諾間近に、戦争継続派の出すメッセージがアメリカに伝わらないようにとっさの機転を利かせる、日本の無名の事務方、新聞記者などが、ほんの片隅に記述されており、美しく印象に残っている。


以上1月29日記

テーマ : オススメの本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

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謹賀新年と日本の近代6 五百旗頭真(いおきべまこと)著 戦争・占領・講話 

日本の近代6 >>>
五百旗頭真(いおきべまこと)著 戦争・占領・講話
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二ヶ月ほどかかって読み終わった。
第二次世界大戦当時の歴史書をここのところ、ジョンダワー「敗北を抱きしめて」(は戦後のみだが)と続けて読んだが、「敗北~」は新聞の投書などを多数引用して一般の人々の声を大きく取り上げているのに対して、この五百旗頭さんの本は徹底的に政治家、天皇、官僚など指導者層について書いている。
まるで、自分が勤めている会社の、すぐそばがいる社長や部長みたいに、それらの人々が描かれていて、あのときこうすれば良かったとか、こいつはたいしたもんだ(特に吉田茂の評価が高かった。)こいつは優柔不断だとか微妙に戯画化して書いてあるのだが、内容の複雑さにしては、わかりやすくて面白かった。
「敗北~」は捉えがたい大きさも含めて世界はこういうもんだなーと言う、本物に触れた感動と安定感があったが、正直眠くなった(シューベルトの死ぬ間際のピアノソナタや弦楽四重奏曲みたい!)のに対して、五百旗頭さんの本は、少ししか眠くならない面白さだったがその分なんだか、世界が望遠鏡を逆さに覗いたみたいにミニチュア化されているような、言い換えると多少作り物じみたちゃちな感じがしないでもなかったが、ゲージツカの自分としては、古賀春江初期の菩薩を描いたキュビズムや去年3分の2ぐらいまで読んだ小林多喜二の「党生活者」を連想したりして、嫌いではないと思った。
そしで、それが、どこかよく知っている昔の日本のちょっと汚らしい匂いがするんだな。
それが、何か自分の屁を嗅いでいるようで、あんまり嫌な匂いではないんだな。
戦時中のどうしようもなく張り詰めた空気を含めてむしろ懐かしく感じてしまう。
そういう匂いみたいのは、「敗北~」よりくっきりとして濃い。
内容的には、日本のみならず当時のアメリカ政府にも潜入するかのようにグローバルかつ精緻に描かれている。
何となく歴史の必然みたいにしか考えていなかった(という事にも、この本を読んで初めて気づいた!)100万の人が死んだ戦争も、各国の指導者、軍人、役人、政治家たちの関わり合いを経て初めて現実化したという事が今更ながらによく分かった。
指導者が、遠くない未来をしっかりみすえながら状況を冷静に分析して、現実的に行動することの重要性がよく分かり、もしかすると、政治家や官僚がとんでもなく優秀ならば戦争は起きないのかもしれない思ったが、そんなやついるのかな。。。
天皇については政治的な匂いがするほど、平和的な君主として描かれていた。
東条英機にも割と同情的と感じた。
憲法9条については、冷戦構造がはっきりし出す頃で、最初から再軍備への含みを持たせている散文的な要素をはらんでいるものという解釈だったと思う。

ちなみに、これを書いているときに知ったのだが、五百旗頭さんは防衛大学の学長ということであった。


皆さん明けましておめでとうございます。
正月早々、面倒な記事ですみません。

私は、2月末の百貨店での展示会の準備で本日2日より働いています。
本年もよろしくお願いします。



陶磁とうるし・ 春の新作展
3人展です。
2011年2月23日(水)→ 3月1日(火) 
日本橋靍島屋7階ギャラリー暮しの工芸
午前10時~午後8時、最終日は午後4時閉会

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ライオンの夢と堀切和雅君著の新刊

最近いろいろ夢を見て、よく覚えている。
日本代表の本田君とお友達だったりもするし、年甲斐もなく◯◯ちゃんが出て来て色っぽい関係にみたいのもあって嬉しいのだが、それはさすがに恥ずかしくてちょっと書けませんで、こないだのは、どういう訳か家でライオンを飼っていて畳の上をノソノソ歩いているというもの。
どうやら、家内がワンワン、ニャンニャンがどうも苦手なお父さん=小生に何の断りもなく子猫のポペコを抱えて来た(これは実話)と同じように勝手にライオンを家につれて来たのだ。
一応ペットという設定なのだが、やっぱりデカくて恐ろしく、こいつ、いつか俺のこと喰うな。嫌だな。と思っているのであった。

もともと、何頭ものライオンが千葉の生家の近くの広場や道にたたずんでいて、遠巻きに気づかれないよう通り過ぎたり、追いかけらてヒマラヤみたいな雪山に迷い込んだりする夢は時々見ていたのだが、猫を飼うようになって獣に対する恐怖心が幾分和らいだらしく、このごろはこの取手の家の中でライオンを飼う夢になったに違いない。

で、もともと臆病な事に加えて、ワン、ニャン、ケモノが非常に嫌いになったきっかけとして、犬にも猫にも喰いつかれた経験がある。
犬には美大生時代に、カノジョに長電話をした電話ボックスから出たところを、警察犬崩れのセパードにがぶり。
当時の長電話の常で、ポケットに公衆電話にいれるためのたくさんの小銭を用意していたのだが、偶然そこをかんでくれたおかげでケガはしなかったが、恐ろしかった。
あの、殺気。でかくて生臭い口。俊敏な前後左右への動き。
近所の土建屋のオヤジが引き綱から離して夜の散歩をしておったのだ。
余計アタマにくる事に、ポチだかコロだかのかわゆい名前で呼んでおった。

猫は、30年ちかく前だろうか、六本木に当時は岩波書店勤めで劇団主催者でもあった友人と二人で、でかけた時の事。
当時の景気で港区にあったビール会社直営のビアホール(ハートランドだっけ?)のPR紙に二人の若き表現者という触れ込みで、ちょっと載せてくれるということだった。
そのビアホールからの帰り道に車にはねられたばかりの猫が。
近寄ってみると、まだ生きている。
ムツゴロウファンで動物好きの友人は、その猫を動物病院に連れて行き(一緒にそこまでは行った覚えがある)高給にものをいわせて、しばらく入院させたあと真新しいケージに入れてジャガーだったかの外車に乗せて我がアトリエに持って来た。
仕方がないので、カツオのアラを買って来てケージの格子越しに喰わしておったのだが、私の指にも一緒に喰いつきおった。
指に穴があいて血がちょろり。
セパードと違って殺気はないものの、なにげにプスリと穴を開けるスモーキーな運動能力にぞくっと来た。
あれは、カツオと間違えたと見せて、やっぱり、わざとだな。人間の本能で分かった。
最近、猫を飼ってみて分かったのだが、猫は、噛んだり、引っ掻いたりの力加減を実に繊細にコントロールできるから、やっぱり間違えるなんて事はないと思う。


前置きが長くなりましたが、そのときの猫を助けた友人であるところの堀切和雅君が今度本を出版したので、紹介します。
horikiri.jpg
>>>>Amazonなぜ友は死に、俺は生きたのか


実は感想を2~3日がんばって書いてみたのだが、どうも小学校時代よりの親しい友人の本については本当に書きづらく、いくら書いてもしょぼくなってしまったのでカットします。
友達として思い入れはあるし、売れてほしいし、テーマは重くて微妙だし、こと表現に関しては自分にも一家言あるし、文章が込み入ってくるばかり。

一つだけ書いておくと、この本は、彼が直接会って話を聞いた人を実名で登場させて論を進めているのだが、実際に会って共感を持って話をした人(恩師、恩人まで登場する)について書くのは辛いだろうな、こんなに面白くまとめあげるのは大変だったろうなと、堀切君の本についての感想を書いていてつくづく思った。
大変な力作ご苦労様と言いたい。

特に、トーカツ78卒の方は是非ご一読を。


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ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」

ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」という本を読み終わった。
日本の敗戦と占領の時期を扱った歴史書であったが面白かった。
まず、1959年生まれの私の子供時代の記憶で、ああこういう事で、あの事はああなったんだ!という風に目から鱗ということも多かった。
一例を挙げると、私の子供の頃の父母たち、小学校の担任など大人たちの戦争についての話では、「天皇陛下にそんなに大きな裁量権はなく、一部の軍人が突っ走って戦争になった」という風に話していた記憶があり自分もそのように思っていたのである。
が、それは多分にアメリカ側の意向、特にマッカーサーは非常に天皇を大切に扱ったようで、その戦争責任をかなり作為的に覆いかくしたいう事に由来するところが多く、やはり天皇に責任は無しとは言えないようであり、なかなか衝撃的であった。
総じて、ダワーは一般に今日、日本古来の国民性とされているような事、例えば、おかみの言いなりになりやすいところ、責任の在処を明確にしないところ等は、必ずしも固着のものではなく、占領時のアメリカの施策と戦時中からの官僚組織、返り咲いた政治家、大資本家たちが、あるいは無作為に温存、あるいは手を携えてい作り上げたところがあると見ていたように記憶してるのだが、なにせ、あまり普段から読みつけているとは言いがたい分野の複雑な本でもあり、5ヶ月もかかって読んでいるので最初の方は忘れてしまって他の本とごっちゃになっていたりするので、しかとは言えない。。

そして、東京裁判、天皇の戦争責任、新憲法、検閲など、一般の日本人が大きな声で語るのも憚られるような難しくて重い問題をも扱っているのだが、登場人物達は、天皇もマッカーサーも東条も、非常に生き生きと描かれている。
みなどこか滑稽なひとりひとりの人間であり、悩み恐れ考え、多くは自分の都合の良いように行動し、まれに義のために闘うこともある。
数多く登場する庶民を含めて、それらの人々が、非常に複雑に、有機的に、時に散文的に、時に明確に因果を持って緻密につながって行って話は進んで行くのだが、まるで本の中に、世界そのものがあるというくらいのリアルさとひろがりがあるように感じた。

個人的に、自分は組織音痴で、一生懸命のつもりが気がつくと独善的でまわりに大迷惑とか、妙に上司にへこへこしたりとかいう事が、短大非常勤時代、嘱託社員時代、そして今でも時々あって恥ずかしいが、どうも戦中戦後の間違えてばかりいる美しいとは言いがたい人々の群像を目の当たりにしていると自分を見ているような気がしてきて嫌だし、
また、時折、書いたり話したりしている戦後史に対する自分の考えの適当さが不安になったり、読んでいて辛い面はあった。
そして、我々がごく小さい頃、昭和30年代にまだ残っていた、ゴミゴミした埃っぽい敗戦国の雰囲気も色濃く漂っているのだが、
なぜか、全体的に言うと、、清潔と言っていいくらい気持ちのよい読後感が残っている。
当時のアメリカにも容赦のない目を向けるアメリカ人ダワーの姿勢も潔く、結果的に日本人には優しいところがあるし、あるいは、非常にこなれてはいるが、やっぱり翻訳を意識させる文章の肌触りか、くどくど理屈を並べないテンポの良さか、ユーモアのセンスか、いろいろ含めて文学的才能が非常に大であるという気がした。

実は、この本を読むのは邦訳出版直後についで2回目なのだが、今回の2回目は新しく図版の非常に多くなったという改訂版で読んだのだが、そこも良かった事も付け加えておきたい。



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東郷和彦著「歴史と外交 靖国・アジア・東京裁判」

「歴史と外交 靖国・アジア・東京裁判」東郷和彦著(2008年12月発行) >>
と言うのを読んだ。
東郷さんは北方領土の専門家で「対ロシア政策をめぐる混乱の責任」(まえがきより)により失脚した元外交官であり最近は密約問題についてのニュース番組に出演しているのを見た。
鈴木宗男議員と近い関係であったようだ。>ウィキ

が、この本は主にアジアと日本の関係についての諸問題を扱っている。
不慣れな分野の複雑な内容を短くまとめる自信は全くないのであるが、敢えて書くと、靖国神社、慰安婦問題、朝鮮半島と台湾への植民地支配のこと、広島長崎原爆投下、東京裁判などについて、一方的に日本の過去を否定的にとらえることなく、相手国の状態、国際情勢などをしっかりと現実的に見つつも、プライドと思いやりを持って言うべき事はねばり強く発言していこうと言うような意見だったと思う。
それが、国際社会で国を維持していくのに必須であるところの日本という国に対する尊敬を獲る道だと。
考え方の基本は至極まっとうなものなのだろうと思ったが、朝鮮半島での日本の振る舞いを「やり過ぎ」と程度を表す語句で評したり、憲法を改正する事への当然のような肯定など、1959年生まれ、朝日新聞を取る家で成長、結局ノンポリだったとは思うが割合左翼的な雰囲気なかで若い時代を送った自分とすると、ちょっと呑み込みづらいところもいくつかあった。
正直、理屈ではなくて反射的に不安になってしまうのである。。


しかしながらこの本は、確信を持って氏の意見を書いていると言うより、外務省退官後、世界各地の大学で教鞭を執る中での見聞、自分の発言に対するアメリカ人、韓国人、中国人などの思わぬリアクションの描写、それによって動揺したりいろいろ考える著者の姿が主でそれが面白いのである。
折しも、政府要人の不用意な言動に端を発して日本の歴史認識が諸外国の批判にさらされていた時期でのことが多い。

そしてなにより、この本は、著者の一族である東郷家の歴史が、日本近代史をめぐる話題の合間のほんの少しの記述でくっきりと読者の心にくっきりと浮かび上がるのが魅力だと思った。
東郷家は実は鹿児島県日置郡東市来町美山の薩摩焼の窯元で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折拉致された朝鮮人陶工の末裔で明治維新まで朴姓だったらしい。
明治維新の時に東郷姓となった。(ネットでの情報によれば陶工たちの住む笛代川地区は幕末まで朝鮮語を話していたという。>ウィキ
その話の直後に出てくる、伊藤博文を暗殺した韓国人安重根へのある種のシンパシーは複雑に捩れた影を持つように見えて実に味わい深く感動的である。
東郷和彦の祖父、茂徳は東京に出て外交官となるが、開戦時、終戦時に外相であり、東京裁判でA級戦犯となり獄死した。父文彦も駐米大使となる有能な外交官であった。
そして最終章にて、東京裁判時に祖父茂徳の弁護をつとめたアメリカ人弁護士ベン、ブルース、ブレークニー氏の茂徳が有罪ならば広島の原爆投下も殺人罪となる可能性にまで言及する本気の弁護とその後も続いたブレークニー家との親交の思い出でが出てくる。
幼い日の和彦が戦後まもなくのもののない時代に、ブレークニー家に行って食するチョコレートサンデーの懐かしく美しい思い出は、その話を織り込んだスピーチをした東京裁判についてのセミナー(2007,サンタバーバラ)の場面と共に語られ、この本での東郷家の歴史は結ばれるのである。

さて、この本は小説ばかり乱読してほとんど政治に関する本を読んでこなかった自分にも分かりやすく、また優れた小説と同じような面白さを感じさせてくれたのだが、ひとつ強く感じたのが、その面白さとなぜか同居する文章のドッシリしない敢えて言うとペカペカ安普請の軽い感じだった。センテンス一つ一つが、国の運命を左右する立場にいた人のイメージからすると意外なほど軽い手触りなのである。
全体とすれば、決して軽薄な内容を書いているわけではなく、いくつかの場面では感動的でさえあるのにである。

格式張らずにカジュアルに書こうとはしているだろうし、性格的にややおっちょこちょいで軽いのかなとも思わせるところもあるにはあると思ったのだが、要するに、文章に少しも粘りつくような官能的な感じがないせいだと思う。
東郷氏のように,決して偏執的にならないあくまで現実的な目配りに富んだ明晰で行動的な頭脳から出た文章というのは案外こういうものなのかもしれないと思った。
(唐突で、あんまりよく分からない例えだが、小生はカラヤン初期50年代の録音を思い出した。>音源
あるいは、職業柄、言葉の持つ言霊的なモヤモヤとしたものを意識的に排除するような言葉遣いになってくるということもあるのだろうか。
しかし、同じく宗男議員にからんで外務省を辞めた佐藤優の「国家の罠」というのも面白く読んだが、こっちは文章に強い推進力と匂うような色彩感、ずっしりとした充実感があった。。。。、


ものつくりの端くれとして、国民として、この本を読んで、その文章のあり方にも非常に興味深いものを感じたわけである。
自分にしては珍しく2回も続けて読んでしまった。。。






(6/3アップ、6/4加筆)
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最近読んだ本

昔は随分本を読んだものだ。
戦争と平和、別れる理由(小島信夫)、源氏物語(一応原文で、小学館)平家物語、史記(一応漢文で。列伝の半分は明治書院の注釈書がまだ出ていなくて読めなかった)等々、うんと長くて読みづらいのを読み通していた。
おりしも、バブル全盛時で、いきなり海外に留学、旅行する若者が非常に多くなったが、自分はどうも旅行があんまり好きでなく、実家に籠もって、当時小さい彩色木彫がドンドン売れた有名彫刻家の父実の下彫りをしながら彫刻や絵を制作するかたわら、読んでいたのである。
まあ、さすが名作で面白かったし、読み通したときの達成感はやはり素晴らしい。

その後、景気は後退し、自分も歳をとったが、次ぎに流行ったパソコンの普及はどうやら乗り遅れず、一応は扱える。
パソコンに夢中になるとともに、あまり本を読まなくなってしまった。
記憶力や目も悪くなったし、苦労して難しい本を読み通す気力が歳とともに減退した。
それに、若いころは海外に行かないやつはダメという風潮に対して、自分は家で読書で世界旅行および時間旅行だみたいな感じで読んでいた、つまりコンプレックスの裏返しで読んでいた面があったのだが、昨今の自分は一応デジタルにはなっているので、昨今のパソコン出来ないやつはダメという風潮にはあまりコンプレックスがないと言うこともあって、無理して読む気力が出ないこともある気がする。
時間も昔ほど無いし、良い作品を作るには美術でも文学でも良い作品をたくさん経験しなくてはいけないと思っていたが、最近はあまり関係ないのではないかと思うようになったのも大きいような気がする。

しかし、最近、パソコンの前でダラダラ過ごしていると、老眼や腰も、ますます悪くなってくるし何だか気が滅入ってくる(特にブログの入場者とコメントに一喜一憂するのは実に不毛である)ようになったので、しいて本を読むようにしている。

しかし、難しく長くて退屈なのは絶対に投げ出すから、昔読んで面白かったはずれのないものそれもあんまり長くない物ばかり。

まず、ちょっと前であるが、杜甫の代表作と生涯を分かりやすく紹介した本、図書館で借りた20年ほど前の本だったが、著者は忘れてしまった。
次ぎに、小林多喜二「蟹工船」、冬の海の風景がきれいかつリアルで感動した。
杜甫も戦火を逃れての放浪途中の絶景が張りつめていて凄い気がした。
社会的なテーマをゲージツ品に持ち込むことにはほとんど興味がなかったが、正義感あってなおかつ美しいなあ、こういう人もいるのだ、偉い人は偉い、世の中広い、と当たり前のことを痛感した。

最近は漱石の「坊ちゃん」。
田舎ををバカにしたり、言いたいことをぱんぱん言う姿勢が気持ちよかったというか、文豪の名作がこうあけすけにものを言うのにちょっと驚いたのだが、ひるがえって自分のブログのあまりの用心深さがなんだか恥ずかしくなっていろいろ考えて、途中小説の内容に集中できなくなったりもした。
最近は読んでいる文章から自分のブログに関係あることを思いつくといつの間にかブログのことばかり頭がいっぱいになって本を忘れてしまっていることが多い。ブログも文章だからいけないのだろうと思う。
それに限らず、焼き物を始めてからは、彫刻と違って普通に人の生活に関わることに不慣れというか、使い勝手、お金、複雑な工程(人に不快でないようにするのがこんなに大変とは!ろくろ、焼成、釉等々)で気持が動揺することが多く、読書に集中できないことが多い。

「坊っちゃん」は小学校のころに買ってもらった子供向けの本が未だあってそれで読んだ。
パキパキ余計なものが一つもついていない木で作ったようなパンクな肌触り(よく分からないことを言って済みません)を感じた。
小中学生のころ読んだときはもっと熱くて筋肉質の感じがした記憶があるのだが自分の想像力の減退か?
坊ちゃんに限らず若い時分凄く複雑で豊穣に思えた本が最近読み直すと意外にシンプルな感じを受けることが多い。例、ジェーンエアと罪と罰(訳は新しい訳なのだが)

そのあとは有島武郎の「小さき者へ」と「生まれ出づる悩み」前者は奥さんの壮絶な死、北の風景が張りつめていて良かった。後者は蟹工船と同じように北の海の漁場の描写があったがやはり緊迫感では多喜二に一歩譲る感じはしたが、その分何か芸能っぽいと言うか進み方がマーチっぽいズンチャカズンチャカ進む感じが面白かった。(これも分からないですね)
これらは始めて読んだが、ちょっと前に「或る女」を読んで感動したので。。。

現在は「彼岸過迄」を4分の1ほど読んだところ。
たった今は窯焚き中です。
(11月20日に書いて21日アップ、11月22日加筆しました。)




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高校生程度の古文読解力で井原西鶴「好色一代女」を読んだ。

 をかしや、愚かなる世間の人、「はや、子ばかり8人おろせしに」と、心には恥ずかはしく、おそばちかく勤めしうちに、夜毎に、奥さまのたはぶれ、殊更、旦那は性悪、誰しのぶともなくに、枕屏風あらけなく、戸障子のうごくにこらへかねて、用もなく自由に起きて、勝手みれども、男ぎれのないこそ、うたてけれ。
 広敷の片隅に、お家久しき親仁、肴入れの番のために、独りうづくまひてふしける。「これになりとも、思ひ出させん」と、覚えて胴骨の中程を踏み越ゆれば、「南無阿弥陀ゝ」と申して、「火ともしてあるに、年寄りを迷惑」といふ。「けがに、踏みしが、堪忍ならずば、どうなりともしやれ、科はこの足」と、親仁がふところへさし込めば、「これは」とびくりして身をすくめ、「なむ観世音、この難すくはせ給へ」と口ばやにいふにぞ、「この恋、埒はあかず」と、横づらをくはして、身をもだえてかへり、夜の明くるを待ちかねける。
(小学館、日本古典文学全集井原西鶴集1より)

おかしいのは世間のお馬鹿なお人たち、「もうすでに8人も堕ろしたのに」と心の中では恥ずかしくは思いながらも、おそば近く勤めておりましたが、夜ごとに奥様のおたわむれ、ことに旦那様はたちが悪く、誰はばかることもなく枕屏風をガタガタさせ戸障子まで動くのに我慢ができず、ひまなので起き出して、台所のほうをを見わたしましたが、男の端くれもないのが、残念でございました。
板敷きの登り口の片隅に、この家に久しく使われているオヤジが、肴入れの番のために、独りうずくまって寝ております。「せめて、このオヤジにでも良い思い出を作ってさしあげようか」と思ってわざとあばら骨の中程を踏んで跨いでみると、「ナムマイダ、ナムマイダ」と申して「火をともしてあるのに、この年寄りに迷惑なことを」という。「間違って踏んでしまいましたが、堪忍してくださらなければ、どうにでもしておくれ。科はこの足にある」と、オヤジのふところへ足をさし込むと、「コッ、コッ、これは」とビクッとして身をすくめて「南無観世音様、この災難からお助けを」と早口でいうので、「とても、この恋はラチがあかないわ」とオヤジの横っ面を張り飛ばしてから、悶々と自分の寝床にもどって夜明けを待ちかねた。

(現代語訳は、小学館の古典文学全集の訳、注を参考に銀がしたので、信用しないでください)


井原西鶴の後期の作品、好色一代女を読みました。
上に上げたのは、うぶなふりをして呉服屋に腰元として奉公にでた主人公(名前がない、ちなみに一代女とは子孫を残さない一代限りという意味ということです。)が、欲求不満に悶々とする様です。淫乱女のガッと動く様が凄いです。
この後、旦那様を誘惑してゲットします。


郭特有の言い回しや、時代が下って中古の文法が崩れてしまっていること、服飾の詳しい記述が自分にはまるで分からないことなどで、非常に分かりづらく、読んだというか、小学館の古典文学全集の3段組の上段の語釈、中段の原文、下段の現代語訳を隅から隅まで目を通したと言うことです。

好色一代女に関しては一応最終章に全編を収斂するような要素はありますが(冒頭の、隠棲する女のもとを訪れる二人の男をつけてその話を立ち聞きする章とともに言わば絵の額縁のようになっている)、内容的に平板というか、、小説的に構成されているわけではなく(昔、好色五人女を呼んだときはストーリーに面白さがあった記憶があります、八百やお七等。)、細かいエピソードを多数適当に並列しただけという印象がありましたが、どういう訳か最後まで投げ出さないで読んでしまいました。
まず、最近いろいろ大変で逃避しているということかもしれません。
それに、パソコンどっぷりに暮らしていると、古文は清々しいです。

しかし、ちょっと読むのに苦労はしましたが、少し意味が分かると、なにか、不思議によく分かってしまうのですね。
日本人だか、日本語を理解する人だか、日本列島に住む人間だかよく考えると曖昧なのですが、そのあたりの人なら誰でも生まれつき分かってしまうのじゃないか。田んぼと同じくらいは。。。。
そして「好色一代女」を読むと日本人が、昔からとってもスケベな人々だったように思えてくる。。
しかし、スケベで下世話なのに、とってもキレイ。配色が明るいのです。
絵で言うと、単純な話ですが、歌麿です。
西鶴の生涯は歌麿より前で、菱川師宣の頃みたいですが、「好色一代女」は師宣よりもリアルで湿っている感じがしました。
もっと直接的に例えて言うと、陰毛がジャリッと生えているのです。
そんなに、露骨な表現があるわけでもないのですが。
(歌麿よりは少し古雅な感じかもしれません。
歌麿と師宣の間くらいの感じかもしれません。余談ですが、久しぶりに歌麿の枕絵をみてみたのですが、日本のエロサイトの陰毛好きは、今に始まったことではない事を再確認しました。)

作品としては、先に並列的と言うことを述べましたが、コラージュみたいというか、構造のしっかりした物が出来なくなってしまう中でがんばる、というような切実さがあるのかもしれません。しっかりと普通に上手な歌麿とはその点は違うでしょう。
この作品は、西鶴の真筆ではないという説もあるようです。
グダグダ書くと、また自分の作品の言い訳になってくるので、このあたりで失礼します。


以下歌麿
utamakura01.jpg

000000010.jpg


以下は、菱川師宣
images.jpeg



後記

ちゅうさんからのコメントの返答を書いていて気づいたのですが、上のタコが絡んでいるのは北斎のようでした。失礼いたしました。訂正させていただきます。
で、小生のイメージしていた歌麿の画像をなんとかみつけましたので、ここにアップいたします。(7月19日記)



歌満くら
IMG_0092.jpg
画本虫撰(えほんむしえらみ)
うたまろ041
歌満くら
IMG_0093.jpg
画本虫撰(えほんむしえらみ)
うたまろ041 のコピー






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プロフィール

ぎんよう

Author:ぎんよう
彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

我が家の掃除機の塵の放射性物質
Cs137:641Bq/kg(検出下限39.7)
Cs134:211Bq/kg(検出下限19.3)
Cs合計:852Bq/kg(検出下限58.0)
採取時期:2014/1月~2014/3月

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