2018年年賀状

銀窯日記の数少ない読者の皆さま,遅ればせながらあけましておめでとうございます。

銀窯制作の今年の年賀状です。
他愛ない内容ですが、暇に任せて画用紙に鉛筆2倍寸の原画制作に1週間ちかくももかけてしまいました。
印刷に入ってもブラザーのプリンターがノンビリモード(インクジェット紙 普通画質設定で一枚1分半かかる)な上に再三鉛筆画原稿に手を入れてスキャンからやり直したりデジタル処理の設定をいじったりでまた2日もかかりました。例によってデジタル原稿が多数あるのですが代表的な完成品を二つスキャンして。

スキャン 1

スキャン 2


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まき子ちゃんの像

まきこちゃんの像 チーク材、寄せ木 高さ1.95m 1998年 鈴木厚作 Makiko-chan 1995 h1.95m wood Atsushi Suzuki 
母が死に長女が生まれる頃、柏の旭町常磐線と東武野田線に囲まれた飛び地の借家の台所で制作。大きな原木は入らないから合板工場で買ってきた端材で入れて中で寄せ木して造り、家から出すときは3分割式で出した。
ちょうど原因不明の肝機能障害(母の死のショック?呑みすぎ?)に罹り、やたら重く感じたがほぼで来た頃ついに入院、退院後ちょいと足を短くして完成した。

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今回仕事場を断捨離して広くしたので撮影できました。

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今年の年賀状

今年の正月は、10日締め切りのコンクールがあったので、正月返上で制作で、年賀状は20日頃出しました。
その騒ぎを、FBで書いたので転載します。
FBでは、出さなかった図柄をブログで公開です。

スキャン 7

以下FBより転載 1/20投稿
本日やっと年賀状発送しました。
早々に年賀状くださった皆様まことに済みません。
やっぱり、年賀状は年末にバタバタやるのが良いですね。
一応美術家なんで、遅れた分、内容を問われる気がして、大晦日という締め切りも無いし、やたら厳密になって、5日もかかりました。
まず、画用紙に鉛筆の絵が原稿で、丸2日かかりました。
それを、スキャンしてコントラストを強くするなどのデジタル処理しますが、処理後に出て来るエラーを、原画に手を入れてなおし、またスキャン、デジタル処理する、というのを繰り返して、また約2日かかりました。
印刷本番が始まってもまだ納得が出来ず、また、いろいろいじくり回し、おわってみたら、はがきサイズの.Pages印刷原稿ファイルが大同小異で11バージョンも出来ていました。
例年より、はるかに疲れました。
そもそも、デジタルで製版すると、やり直しがしやすくなって、却って木版、プリントゴッコより時間かかるという面もありますね。
ps お年玉くじの結果は見ないで発送しました。
以上

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なお、枚数が足りず、お年玉くじ付きつきでないものもあります。宛名ソフトの順版ですので、他意はございません。


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美術についてこの頃考えたこと

美術において、どんな宗教、主義、人種、性格の人が制作しても「良いものは良い「」と言うことを世界の多くの人々が当然のように分かるようになったのは、多分、日本の浮世絵に影響を受けた印象派以後だ。モネ、ゴッホ、ピカソ、ミロ、シャガールだののビッグネームが連なる西欧近代美術の完成期の時代だ。

一万年前であろうが、ヨーロッパであろうがアフリカであろうが、全ての造形物をすべて同じような気持ちで美術として楽しめるようになった。作られたときは、狩りの成功を祈るものであったり、キリストさまのありがたみを伝えるものであったとしてもだ。。
それまでは、いつの世にもいる少数の物好きは別として、もっとも良心的な宣教師でも、アメリカの先住民の彫刻を破壊したりしていた。
作品が、どんな宗教、人種、性格を背景にもっていても「良いものは良い」という考え方があれば過去から大切にされてきた偶像が破壊されたりすることは格段に減るし、変わった人が作った変わった作品を変わった人が愛でると言う行為も、非常には非難されたり逮捕されたりすることは滅多にないから新しい感覚の美術も生まれやすい。
とはいうものの、やっぱり、21世紀の今になっても、性格の悪い人が作った偏執狂的美術は一般受けはせず人気とはならないし、タリバンがバーミアンの石仏を爆破したりする。
その理由に関しては、いくつか思い当たる。
まず、どうも、こういう考え方、近代ヨーロッパで大系化される背景には、植民地主義の結果アジア、アフリカなどの当時のヨーロッパ人が自分たちとは全然別の感覚の美術に触れる機会(破壊しながら)が増えたことがある。
そういう意味で、ヨーロッパの印象派以後の近代美術の考え方を帝国主義的と捉える考え方がある。ある意味ヨーロッパ近代の痛いところをついている。
随分前だが、朝鮮総連所属の在日朝鮮人画家との酒席でピカソら20世紀初頭の前衛運動を帝国主義的と評するのを聞いて驚いたが、差別と抑圧を身近に感じてきたマルクス主義者にもそういう西欧近代美術に対する違和感があるのかもしれない。
西欧近代の前提にある非ヨーロッパに対する搾取を意識しているわけだ。
タリバンにも異教の偶像を嫌うこととともに偶像を宗教から独立した美術として捉える近代西欧の思想の方を嫌う面もあるのかもしれない。。
もう一つ、やっぱり、その国や民族が昔から受け継いで出来た感覚(実際には先祖伝来のものとは限らず、為政者や大金持ちに恣意的に作られた感覚や一過性の流行だったりもするだが)は、やはり、美術の良し悪しを判断する基準にかなりの影響を与える。
日本なら例えば侘びサビで、ヨーロッパのバロックの脂っこい官能性には顔を背けたくなるとか。ルーベンスの脂肪でっぷりのお腹やお尻はやっぱり人気無い。

日本においても脂っこくて、偏執狂的な装飾過剰は縄文時代、平安初期、東照宮などの江戸時代などにもあったが、現代でそう言うものを作ると、下品とされることが多い。
そんな感じで、西欧近代が言うところの「良いもの「」よりも、属する社会、民族、国家で一般的によしとされるものの安心感に価値をおくことはどこでもなくならないだろう。
全く体質の違う美術の中に、自分の心や自分たちの文化の要素と通じる要素を見つけて楽しむのにはやはり、かなりの修行と気合い又は反骨精神を必要とするのだ。
この西欧近代の美術が示す『良いもの」の概念は宗教や主義、美人とか可愛いとかの時代や地域で変わる基準を頼りにしないから普遍性は格段に高い反面、抽象的なもので、そもそも感覚的には非常に分かりづらい面がある。
そして、その民族や時代に常識とされる文化と全く違うものを、平気で楽しむ個人が多いというのは、国家主義者には邪魔なようで、全体主義的国家の政府が弾圧を西欧的近代美術に加えたのは20世紀以降の歴史にたびたびある。

だから、権力や大多数に流されないという本来の近代美術あり方というのは立憲主義とか徹底した個人主義とかに重なるところがあるのだ。

そんなこんなで、曲がりなりにも焼き物の専門教育を受けたことのない自分が日本的な侘びサビとはまったく縁もゆかりもない屈折した内容の器を作っていられるのも、近代ヨーロッパ由来の美術の考え方が有ったことが大きいから、やっぱり好きな考え方なのである。安倍首相がいろんな事言ったとしてもだ。
なんだか、何言いたいんだか分からなくなっちゃったけど、終わり。

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新海竹蔵作の胸像原形

新海竹蔵作の胸像原形。40年も前だが、亡くなったときに親しかった人に遺品を分けたらしく亡父実が道具などとともに貰ってきて、今は私が持っている。
先生は真面目で何年も掛けて作ったらしい。
あの頃(戦前のこと?)は胸像一個で一年喰えたらしいな。良い時代だったな、と父は言っていた。先生は院展の人で今は知る人も少なく、生前からスター性はなかったが、国立近代美術館にも何点か代表作が収蔵、常設されている知る人ぞ知る偉大な方。父は先生を非常に尊敬していた。
余談だが、この件で偉い彫刻家が死んだら遺品などを関係者に分けるもんだと思い込み、父がいきなりクビ吊って死んだときに、集まってきた、関係者に、道具などを配っていたら、遺品は資料になるんだからやめなさいと、秒読みになっていた回顧展担当のうら若い学芸員(その時初対面)にたしなめられたのも今や懐かしい思い出。先日山形の個展の際は、学芸員氏と一緒にへべれけ呑んで楽しかった。

新海竹蔵>>>>山形県HP


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明けましておめでとうございます。

おくれてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。
例年、元旦は、妻の実家に元旦に出かけて、家族は2泊か3泊、私だけ、猫の世話のために1泊で2日に帰ってくるのですが、今年は長女が受験なので、家族4人、2日の晩に帰って参りました。
例年は、二日に1人で帰路、東京国立博物館に寄ってくるのですが、、今年は車で全員の帰宅になったので行けず残念。
学生の頃より繰り返しみて親しんだ名品を正月にみるとまた感慨もひとしおなのです。
これは、去年の夏に撮った写真ですが、
磨崖仏といっ岸壁に正面から彫りつける技法に由来する古いスタイル(日本の飛鳥仏にもその要素が流れ込んでいる)の中国の仏像ですが、謂わば絵と彫刻の両方の要素があり、こういうものを勉強したことが、今の器の表面に、紋様を彫刻する作業にちょっと役にたっている気がします。
それでは皆様本年もよろしくお願い申し上げます。
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最近東博は寄託作品を除いて撮影OKになりましたね。
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阿部合成 「見送る人々」

阿部合成

阿部合成作 見送る人々 1938年 兵庫県立美術館蔵
反戦的絵画の金字塔です。
ちなみに、名前の合成(まさなり)は、1910年日韓併合の年に生まれたのでそれを記念としてつけらたが、思春期になって由来を知りその侵略的な響きを嫌ったとのこと。

前年から日中戦争が始まっていましたが1938年の二科展に出品して物議を醸した作品。
出征する兵士を見送る人々を描いている。
針生一郎氏著「修羅の画家ー阿部合成-」(岩波書店同時代ライブラリー)によるとグラフ雑誌「国際情報写真」の「戦時の秋美術展号」に口絵として掲載されたのをみたアルゼンチン駐在公使が「退廃不快の印象を与え日本人とは思えない」と取り締まりを要求、以後官憲に反戦画家として睨まれることとなったそうです。
特に反戦プロバダガンダ的なものが描かれているわけでもないので、最初はなんのお咎めもなかったのに、高級官僚の一言でいきなり時局に合わない非国民的なレッテルが貼られたという事の次第のようです。
確かに陰鬱で変な顔の日本人がたくさん登場してさわやかとは言えず、一見不快かもしれませんが、美術品としてみれば実に生き生きとした躍動感のある健康なものですね。
多少調べて見ますと、左翼青年でありプロレタリア美術運動が呼び水となっている面はあるようですが、どうも、反戦でも翼賛でもなく普通に時事に就いて真面目に描いたらこうなったというのが実情のようです。
まあ同業者の端くれとして言わせていただきますと、自分の絵が自分と別人格を持つかのように自立して生き生きと蠢き出すのは実に快感なものですが、出征を誇らしいものとして見送る美男美女だとそうすることが難しく、いわゆる「退廃不快」の雰囲気の方がやりやすかったのではないだろうか。
この時点で、形や色や線を使って太古から人間が営々と続けてきた描くという行為と、描かれている顔つきや情緒との結びつき方に不健康なものが入り込むことを拒否するには、阿部合成の資質ではこうするしかなかったということだろう。
戦後、伝説の画家として無頼な貧乏生活を送り、晩年に革命の匂いの残るメキシコで高評価を得ますが、今まで写真で見たところ、良いものとは思いますが、この「見送る人々」ほどのずば抜けた力を感じることは出来ませんでした。
画家として絵に没入するうちに絵の中に、官憲がそう見なすところの「反戦」が自然にそだったような稚気が「見送る人々」にはあって人を惹きつけるのだと思いますが、戦後のは「反骨」が先にあってそれを絵に押しつけているようなところが少し息苦しい。
でも、戦中にハンサムな兵隊やハリウッド映画のような戦闘場面を描いていた画家が、戦後、可愛い少女や裸婦を描いて大金持ちになった事を思えば、やっぱり彼は立派です。
今でも、良い作品を、何かの弾みで神経質な嫌悪で拒否してしまう狭量さが依然として人々と社会の間にそうとは見えず頑としてあるのを痛感する今日この頃です。
体制を守るためと図式的に言うことが今は出来づらいのが寧ろ辛い気もしますが、いつの世も、その時に遡ってみれば、そんなものなのかもしれません。まあ、何かの弾みで逆にとんでもないものが受け入れられちゃうこともあるのだけれど。
1972年に癌のため61才で他界した。





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谷文晁筆
西遊画紀行帖
これは信じられないことなのですが18世紀末寛政初年(1788年)の作です。芭蕉がご存命の頃の空気はこんな感じだったんだ。西洋画の影響が入っているんですが、その変な入り方を変なままにちゃんと何か確かなものに作り上げていると思います。その結果非常に正直なものの見方が出来ていると思うのです。意味不明かな。

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江戸時代のリアルな空気感は、浮世絵でも、狩野派でも、南画でもなくて、和洋折衷の洋風画だと思うんです。
西洋的なものを媒介にしないと見えない何かが我々の中に大きく根を下ろしてしまっていることはかんじます。
血塗られた植民地主義の結果のような気もしますし、反対にどうしようもない人類の精神史のような気もします。
自分には全く分からないのです。
その中で先人の苦闘が豊かな結実となって残っているのは救いですね。

しかし、面白いのは、印象派からあとを見ていると西洋も東洋的なものを媒介にしないとものをちゃんと見ることが出来づらくなってきているようなのだ。
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有村辰夫先生の近作

今年の国画会で拝見した有村辰夫先生の作品。
90才を超えられた先生の作品に彫刻から離れた自分が分かったようなことを言うのもちょっと気が引けるのだが、余計なものが何も無くて情報量は決して少なくない、生き生きとした素晴らしい彫刻と思った。
先生の、ここ数年の作品には毎年心惹かれるものがある。
同じ国画会彫刻部だった亡父実は48才で平櫛田中賞を取って世に出たけど、バブル時についた浪費癖、色事で生活を荒らして72才で自殺した。
父も良い作家だったとは思うが、有村先生のように長く生きて、地味だけど嘘のない澄んだ境地に達するのとどちらが幸せなのだろう。。
付け加えると、受賞当時の父と有村先生はそれ程うまく言っていたとは言えなかったようだった。
先生が、8才年下で自分の師匠の名を冠した賞を取って行動の派手な父を面白く思わなかったとしても無理からぬ事だし、自意識の強い父も過敏になっていたのだろう。
父曰く「年取って、ある程度有名でない芸術家は、つき合いづらくてかなわない。」
親の因果は子に報い、息子はいくら頑張っても無名の偏屈な作家になったとさ。私は今年54才。

●有村辰夫略歴(国画会のHPより)

1922年 鹿児島県生まれ
平櫛田中に師事 院展

1964年 国画会出品

1973年 会員 現在に至る

千葉県美術会理事


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ある日の会話

アトリエで埃をかぶって屹立するこの像を見て、次女(少5)が「パパ、これどうするの?売るの?」
「売れないから、そのうち捨てなくちゃね。」と私。
「ええ!捨てちゃうの」と次女。
「それじゃ、Hちゃんにあげる。パパが死んだら。」と私。
「エーいらない。」次女。。
「じゃあ、捨てなきゃ」私。
「。。。。。うーん、でも捨てらんないな。やっぱり捨てらんない。おねーちゃんも一緒だと思うよ。」と次女。
私は、かなり感動したのであった。こうやって美術品は後世に残るのさ。断舎利反対!
でも、結婚して旦那に捨てろと言われたら捨てるだろうな。
ということは、あと20年の命ということだ。

これは、私が30ちょっと前、バブル景気華やかなりし頃、画用紙を木工用ボンドで固めて作った亡父の像です。あまりにでかいのでアラばかり目だちますが、この写真みたいに小さく写ると結構ちゃんとまとまっている像で、本人は気に入っているんですけどね。

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常総市弘経寺旧本堂の正面にて。3メートル近い巨像です。撮影:森政俊


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アトリエにて。亡父は、これを見て、「似てはいるな」とイヤな顔をしていた。
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23日は休みです

明日23日は鈴木厚陶磁器展は休みです。お間違いの無いように。

田中酒造dm裏最終版
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ラファエロ「アテネの学堂」

これは、押しも押されもしない、大名作ラファエロのアテネの学堂。
しかし、これって昭和の匂いしないだろうか。我々子供時代の図鑑みたいなケバケバしさと薄暗さ。特に最近の修復後はケバケバしい。
少し前の、ピエロ、デルラ、フランチェスカやボッティチェリみたいに自然で優美とは言えない。
ルネサンスも爛熟して、どんどん、写実的で理想主義的、キリスト教でギリシャ・ローマ等、複雑で微妙、しかも壮大と全てを実現した表現をしたくなってきているのだろうが、油彩と違い作業に時間をかけられず、色を厳密にコントロールできないフレスコでは無理があるのかもしれない。
あるいは、近代に近い時期での古典主義の宿命と言ったらよいのだろうか。
でも、暑苦しい葛藤と無理を孕みつつ非常にパワフルなこの感じ大好きだ。

しかし、現在の貫入みたいなヒビを完全に消して、ここまでキレイにしてしまうと、侘びサビとは無縁を自負する私でもちょっと、、、、
勘違い的な後世の加筆は取り除くべきだろうが、良い感じの汚れ具合を保ってきた営み=長きにわたり作品を大切に伝えてきた思い入れの痕跡、への尊敬みたいなものもあって良い気がする。

アテネの学堂修復前
修復前
アテネの学堂
修復後
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aufheben展終了

aufheben展終了致しました。
暑い中、小文間というjr常磐線取手駅からバスでまた出かけなくてはいけない所にまでおいで頂き、買って下さった皆様ありがとうございました。
以前は、ご購入の皆様全員に一枚、一枚礼状をしたためたものですが、以前にもまして、一点、一点の制作に時間がかかるようにになり、また、多少発表の機会が増えて参りましたうえに体力は衰える一方、まるで時間の余裕がなくなって書けません。
今回は鈴木智氏との二人展でしたが、私個人の作品について申し上げると、日常雑器に暗くて脂っこい個人的世界観を盛るのは、使い手も楽な気分ではないだろうし、無駄な努力の気もしますが、彫刻や絵画をやっていた自分から見ると現代彫刻風の作品的陶芸は多く作られていますが,雑器での自己表現はまるで手つかずの新鮮な分野に見えます。。
大変ですが、印象派が誕生したときもかくありけむ、の大志で頑張ろうと思いますのでまたよろしくお願いします。

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フェリーチェ・ベアト

フェリーチェ、ベアト(1832~1909)はヴェネチア生まれでイギリスに帰化した写真家。
幕末から明治に日本に滞在し、多くの写真を残した。(1861~1884年滞在)
多くの写真は、印象派よりもむしろ古典的な安定した構図で古めかしさが懐かしい味でそれはそれで楽しめるものだが、下にアップした写真のような、妙に生々しい空気感の生き生きした感じの写真が少数あって驚いた。
小さく写っている股旅姿などの人々がまるでクロサワ映画みたいな感じに動きそうなのだ。

フェリーチェ・ベアト>>>>>
春に、東京都写真美術館でベアトの展覧会を見に行き、そのカタログを取手の図書館にリクエストしたところ、この程購入になったのでじっくり鑑賞、感銘を受けたので記事にしました。
しかし下の写真は一部を除いて、以前より持っている朝日新聞社の「写真集・蘇る幕末=ライデン大学写真コレクションより」から。
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箱根の風景。
向こうから、正義の味方の素浪人が馬を駆って登場しそうではないですか。
お茶漬けの看板がおもしろい。
地形が分かるような撮影は軍事的目的での撮影で身についたものなのだろうか。その場の地面を歩けるような臨場感。


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生麦事件の現場。事件直後らしい。鎌倉事件では同行を誘われて、断ったために危うく難を逃れたという。
現在の横浜市鶴見区らしい。

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横浜山手に上る坂。
ベアトは横浜に写真館を経営した。挿絵画家で有名なワーグマンと共同で経営した時期もあったらしい。
横浜の写真も多い。


スキャン 5
神奈川台町の関門。
土門拳の写真みたい。「砂の女」(安部公房)でも出てきそう。


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長崎の風景。
見開きをスキャンしたので真ん中ノイズがあります。
こう言うのを見ると、なんだか、江戸時代も我々が生まれた戦後15年ほどと大した違わない空気感に思える。
ちょんまげの人々が、スナップ的な謂わば20c的な画像の感覚で捉えられているのに何とも不思議な違和感を覚える。
正直、幕末の頃と言うより、戦後チャンバラ映画的な偽物感まで感じてしまうのは私だけだろうか。幕末は江戸時代的な感覚と西洋的な物との葛藤や折衷のある絵で見慣れているのだ。


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厚木

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アーリー・アツシ

2階のの物置にしている亡母のアトリエを整理していたら、出て来る出て来る、わたしの幼い頃の作品。
父母の愛情を感じた。が、一人っ子が、彫刻家の父、日本画家の母におだてられて得意になって描き殴ったような内容の感じられないのの方が多く、それは思い切って捨てた。
以下、ましなものをアップします。ご笑覧。

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小学校3年生だと思う。既に細かい線で偏執狂的に。 彫刻家の父と日本画家の母にはもう少し大らかにやれと常々言われていたが、体質だったの事がよく分かる。
しょっちゅう風邪をひいていて、治りかけ、寝床に座ってしこしこ描いていた。


同裏
門前の小僧習わぬ経を読むで小学校5年だと思う。1970の年号が入っている。ロダンが好きになった。
門前の小僧習わぬ経を読むで小学校5年だと思う。ロダンが好きになった。
同裏
DSC_1829.jpg同横


多分小六。しょっちゅう風邪ひいていた。中一かも。
47KB (428 x 640) 多分小六。中一かも。

DSC_1822.jpg
多分小6のとき。1972の年号。小6の頃に長い時間かけ、明けて石膏取りしたように気がする。
12~13才にしては上手いが部分に拘泥するから生々しい。これも50になっても基本的には同じ。さすがに、この頃は、知恵が付いて、部分をわざと抜いてとぼけた味にすることもあるけど。

同裏同裏


自刻像。1972が刻まれているから中一のころ。
自刻像。中一。まだ、毛の生えない少年の顔。
自刻像横から同横


。
多分中一。自画像。細かいところにこだわるところと、力任せなところが混在して、暗い。作品で人目気にせず、傍若無人なのは昔からで、これは人に好かれないのも無理はない。思いやりが大事と言われるが、芸人たるもの絶対に本当には分かるわけがないお客様の気持ちを探るなんて失礼、それより、自分が身命を削って踊るのが礼儀と思うことにしている。
しかし、器では、その方が、変な模様を付ける為の頭の蓋が開きやすいからしている部分が大きいのだが、器は使いやすく普通の生活用雑器の形に作っている。この間、隣の江戸切り子の先生に食器売り場で通用する作家もの陶芸家と一緒になったのは始めただと妙な褒められ方をした。


これも自画像。多分中1目がこの頃どういう訳か描けなかった。
これも中一だと思う。この頃どういう訳か目が描けなかった。モジリアニの影響もあったかもしれない。

同じ頃だと思う。自画像。どんだけ自分が好きだったんだ。今はさすがにそれ程好きでなくなった。

 border=
"多分中一。教室のベランダから広大な森が見えた。森を越えれば世界の果てのような気分?



中学2だと思う。 近所に牛舎があって、良く夢中で写生していた。


高校生の頃は妙に上手くて自信ありげで気色悪いので飛ばして大学一年。美大入学初めての課題。老人の頭像を塑像で作るためのデッサン。弱いが、線を描くのを惜しむかのように息を詰めて描いていて、割とイヤでない。この大学時代が私の今までで一番叙情的。だって僕にだって青春あったモン!

大学生時代。青春時代のおセンチな自画像。やーね。


この、昔の作品集はちょっと前に実はFBに出したのだが、いったいお前は今、中期なのか、後期なのか、それとも初期なのかと言うような質問のコメントがあった。
自分とすると、彫刻、絵画、陶磁器といろいろの分野をやる。そうすると、成熟せずに、いつでも初期という感覚がある。人間、未知のものに当たった時と言うのはその人の地みたいのがでるというか、似たような事をする。だから、子どもの頃からあんまり変われないのかな~などと思う。分野をうつった時に作品に現れやすい強いエネルギー見たいのが好きなのだが、腰の据わらんいい加減なやつと言われたらそれまでだ。
ただ、今扱っている器はささやかなもので、ささやかなものだからこそ、今までの経験を割合総合的に使えていると言う手応えは、秘密だが持っている。


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プロフィール

ぎんよう

Author:ぎんよう
彫刻家でもある鈴木厚が磁器を中心に器を制作しています。

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