霞ヶ浦のほとり、予科練のあった現在の陸上自衛隊武器学校隣の公園内にある。
最初、武器学校内の予科練の展示施設「雄翔館」をリニューアルしたものと思いこんでいて、学校の入り口に行くと
守衛の若い自衛隊員に違うと案内されたが、同じ間違いの車が続々とやってきて、青年はウンザリという顔であった。

これが外観だが、「なんだ、このふざけた建物は!」と言うのが正直な第一印象。
この銀色に光っているところは、どう見てもブリキである。
2月2日に開館したのだが、駐車場満車の大入りであった。
で、中身であるが、写真を撮れなかった。
右翼的と言うのかタカ派的なというのかそう言うニュアンスも予想していて、事実、辰吉丈一郎的なファッション(刈り上げ短髪、髭、スーツ)のお兄ちゃん達御一行もチラホロいたりして、そう言った内容なら撮ってきたであろうが、一見したところでは展示に右翼臭は全くなく、皆さん物凄く真剣な眼差しで若くして戦死した若者をしのぶ展示に見入っていて、ちょっと撮る勇気が出なかった。
予科練のあった阿見町は、戦争末期にこの田舎なのに空襲で町民も含め380人が犠牲になったそうで、地元らしいご老人が食い入るように見ているのには胸を突かれるものがあった。
知り合いがいたのかもしれない、遺族なのかもしれない。。。
当時を知る老人のインタビュウや、残っている映像、遺物、土門拳撮影の写真など相当衝撃的であったが、このあっけらかんとした軽いイメージの建物で救われる面もあった。
設計者が分からなかったのであるが、天井の黒くペイントしたむき出しのダクト、白かったり、古い教室風だったりする展示台はどこか港区あたりの前衛的高級アパレルショップをおもわせるものである。

近くには屋台村、盛り上がっている。
インド人?のカレー屋があった。

昼食をとった近くのラーメン屋の駐車場から。
空き家になった、工場など。
現地で見る戦争の記録は非常にリアリティーがあって記念館そのものは大きな意義が有ると思ったが、あのあっけらかんとしたお金のかかった建物とこの廃屋の落差はなんなんだろう。
公共建築だっては遊びの要素はあって良いし、不景気な世間にあわせる必要はないと、ものつくりとしては思うのだが、なにか心に引っかかるものを感じてしまった。

帰り道しばらく行ったところでよった神社の大杉。
戦時中のことが連想される。出征するときに。。。
物凄く寒い日で、家内は展示のショックでお腹を壊し、子供二人と小生はグッタリ疲れて嗜眠状態に陥り、その日は車中の仮眠、昼寝と早寝をあわせて13時間も寝てしまった。

友人の展覧会に表参道に行ったついでに根津美術館へ行って参りました。
しばらく立て替えのために閉館していて新装なって始めて。
世界的に著名な隈研吾氏の設計で、懲りすぎていないので展示物は見やすいし、灰色を基調にして和風の上品な建物でした。
中のどの部屋にいても、質素な木造平屋風のお家のような外観の形がわかる感じがしたのが面白かったのですが、
自分的には、入り口に幹が黄金色の特別な笹竹がうわっていて、玉石の上に古い舟形の彫り込んだ大きな石に水をためてあるのですが、近づくと後ろに黄色いゴムホースが隠して置いてあるのが見えてしまったのが馬脚というか、美人の鼻の穴から一本だけ出た鼻毛か鼻くそを見たようでかなり嬉しかったです。
展示内容ですが、古美術がというか古美術しかないのですが、文句なく素晴らしかったです。
特別展「陶磁器二つの愉楽」展の中国の染め付けの名品、高麗青磁のこれはもうとんでもなく最高という有名な水注、平常展の北魏ころの中国石仏の名品、有名ではないが古様の平安仏、殷の青銅器、自分的には青銅器が一番良かったです。
青銅器は、これはよく分からないのですが、東京国立博物館でもあるのですが、紀元前1000年から土に埋まっていた出土品なのに非常にキレイなのはヤスリで磨いたりしているのではないかと思うのですが、ここ根津の青銅器コレクションは表面が緑青でガサガサしていて出土したままの状態を思わせるものがほとんどで、本物の感じに安心感がありました。
茶道具に造詣の深い根津さんの感性と財力で、戦前の中国でわざわざあまりキレイにしないようにうるさく言って中国人にいぶかしがられながら求めたのではないかと想像しましたが見当はずれでしょうか。

中国北斉時代 6世紀の大理石の如来、3mちかくある巨像。
素晴らしい。像もさることながら台座も実に良い。


庭園の灯籠、朝鮮のもの?こういう古い石造物がいちいち名品。もっと撮りたかったのだが例によってデジカメの充電切れで撮れず残念。


昨日は松戸市立博物館というのに行ってきました。
旧石器時代から、1960年代までの松戸の歴史が、たくさんのビデオや自動で動く小さな舞台付きのビデオのような覗きからくり風アトラクション、精巧なジオラマ、出土品などと共に展示されています。
ライティングや展示台も今風に工夫されて非常に凝っていてあか抜けていて、遺物の集合という暗い感じが全くなく分かりやすくて良かったです。
ただ、遠近両用メガネの自分は沢山のメディアや照明の変化に焦点を合わせるに結構疲れました。
実は、数日前になんだか異様に気が滅入って仕事が出来なくなったので家族に隠れて、隣町の龍ヶ崎市歴史民俗資料館 に行って参り何だか元気が出たので「もうちょっと元気を」と言う感じで松戸に行きました。
竜ヶ崎はボタンを押すと光って場所が分かるジオラマが壊れて調整中になっていたりして、演出にそれほどはお金をかけていなかったのですが、却って、昔の汚い道具や写真などを普通に見ていてしみじみすると言うか、「金持ちも、貧乏人も死ねばみんな同じだ」という感じが当たり前のようによく分かるようで気持が和みました。
リーマンショック・ドバイショックでへろへろになったオヤジの癒しには、もう少しぼろいほうが良いのではないかとも思った次第です。
で、今日の第一の目的である1960年代の団地の再現した部屋です。
これは、非常に良かった。
小生は団地萌ですし。
台所に家内の生まれた1960年代前半のある年の赤茶けたカレンダーが貼ってありましたが、自分達の生まれたころの文物が博物館に展示される時代になってしまったのは感慨深いものがありましたが、楽天家の家内は自分の誕生日を見つけて、「私は火曜日に生まれたんだ」と喜んでいました。
団地の外観の一部が再現されている。

鉄の扉。コンクリートの狭い階段も再現されていた。

ダイニングキッチン



洋間といっても、畳に絨毯でした。
細いスチールの縁のサッシはなかなか良い感じ。
うちにステレオが登場したのは70年代になってからだからかなり生活水準は高い。
机の上のコーヒーカップもなかなか良いデザインであった。
壁の東郷青児の絵の複製の額、本棚の百科事典、資本主義講座全集がリアル。

和室

風呂
トイレは洋式でしたが、風呂は檜風呂なのにビックリ。私の育った立て付けの悪い(大工が下手くそだった)一戸建て木造平屋の家がなぜかタイルの備え付けだったもので。(母方の伯父が設計してくれたらしい)

外には竪穴住居の再現
縄文好きの小生は随分竪穴住居の再現を見たがこんなに立派なのは始めて見た。
なにか、キノコのような形で生き物じみて見えるのだ。茅葺き屋根が土つかぬよう地面際で持ち上がっているのが視覚的にも効いているとおもう。

近くに森のホール21
物凄くでかい。松たか子のコンサートとしまじろうショーのポスターがハイテックな掲示板に貼ってあった。

駐車場への地下通路。

吉野家で昼飯を食って帰ってきたのですが、午後も仕事をさぼって学級閉鎖中の娘二人と遊んでいました。
もう少したてば、我々の青春時代の記念物、スペースインベーダーの喫茶店机が博物館入りすることでしょう。
ちょっと忙しかったこともあったのですが、去年の暮れにかけて、自分にしてはかなり更新したので、しばらく良いかなと思ってさぼっていたらば、どうも記事を書くのが億劫になってしまいました。
しばらく書かないと過去に書いた恥ずかしい記事がほんとに恥ずかしくなりますな。。。
以下、今年最初の作品です。
まず、お茶道具を数点。
一閑人蓋置き。

茶碗今回は平茶碗でなく見込みの広いものを作りました。

内側も描いた方が茶碗らしく見える。


少し歪まして沓茶碗風に。

エスプレッソカップ

コーヒーカップ
今回は性能の良いハッキリと発色しやすい今風のゴスを使ったのもある。

小皿2点 かなり苦労した。人間の姿にまとめてなんとか形になった。


湯呑み

以下酒盃
細い線を随分沢山引いた。






昨日年賀状を大体発送し終えました。
去年までは、通信面は作品の写真をワードで構成したりしてプリンターで印刷して表は、筆で宛名を書いていたのですが、今年から、宛名も全てパソコンでやりました。
購入したソフト「筆一番」は機能が増えすぎて使いづらくなった「宛名職人」のアンチテーゼと云うような話をどこかで読みましたが、全ての作業がウィンドウ上の数個のボタンに統合されていて感覚的に理解でき、ヘルプがないほどにシンプルであっと言う間に使い方が分かったものの、宛名では敬称を全て一人一人タイピングしなくてはいけなかったりでやっぱり大変でした。
住所録からの読み込みは出来ますが、どういう訳か、自分のパソコンでは、ソフト内での編集にコピペが全く使えない。。。
文字の種類、大きさ、配置を何回も設定し直し、さらに、連名の宛先は微妙に変えたりもして、また、途中で、通信面のワード・ファイルを間違って破棄してしまって作り直したり、用紙もお年玉付き(もらった方は嬉しいかなと。。)と写真用紙両方ためしたりで、結局、例年の何倍も時間がかかりました。
しかし、その大変な作業をするうちに思ったのですが、自分としてはこれは、ハッキリ言って例年の筆書きより遙かに心がこもっているのじゃないか。
自分は、FM放送をつけっぱなしで作業していますが、最近は時々年賀状の話題で、手書きの文字は心が籠もっていて心が伝わって印字より良いと言う意見ばかりですが、
自分の筆文字(父の字にどこか似ている)など、癖っぽいカッコツケがなければただの下手くそ、素直に書いたら見られないと言うレベルなのに対して、
印字は配置、大きさなどにちょっと注意を払って使えば書みたいに練習しなくてもすぐに格段にキレイに出来るし、逆に言うと注意しないと全然ひどくなるので、その人の個性も結構出てそれはそれの味わいがあるのではないかと思うのです。
文字種は、DFP隷書体というを、かなり小さく使うのが年賀状では一番ピタッと来る気がしました。
どうもこの書体を宛名ソフトのデフォルトぐらいに大きくすると、特に平仮名がゴシックと変わらなく見えた。そもそも、フォントは小さい文字でキレイに見えるように作られているのではないかと思いました。
本人的には、特に、写真用紙の宛名面に赤く「年賀」と自分で印字した方は木版画の味わいが出たと自負しています。
前置きが長くなりましたが、葉書への切手貼り能率的な方法。


着用のセーターは愛妻の作品です。
展覧会のDMを一年に何百枚も発送するので、郵便局のおばさんに教えてもらった方法で、100枚を12分程で貼り終えます。
手順は
1、切手シートのミシン目に全て折り目を入れる。
2,写真のように5枚一続きに切る。(100枚のシートを半分におり、折り山のところから10枚一続きに切ってから半分にする。)
3,一つづりを皿の上の塗らしたティッシュの上を滑らして塗らし濡らし、右手に持って図のように切らないで貼って葉書上で左手で押さえて切る。
下の写真のように横向きに重ねて置いて、次々に貼ります。
20年ほど前取手の郵便局で、5枚一つづりを一気に濡らすための小さな水車のようなプラスチックの用具を見て感心したことありましたが、その後見たことがありません。
あれは、何か他の目的の用具の転用だったのかもしれません。
私も飛び入りで出品いたします。
小品6点ですが、秋の展覧会シーズンのあとに焼いた新作中心です。
今回は釉が薄く、温度も低く抑えたのが効いたか、ゴスの発色は多少鮮やかかもしれません。
3900円(染め付け酒盃)〜約6000円(染め付け飯碗)
クリスマスプレゼントに是非どうぞ。







会場の「木の葉画廊」は神田JR駅から中央通りを日本橋の方へ3分ぐらい行くと岩手銀行があってその手前路地を左に入って路地を抜けて小道を横断した突き当たりですが、その路地に、自分が美大を卒業して始めて一週間借りて個展を開いた(1985年)真木画廊がありました。
当時、現代美術系の画廊が神田には他に田村画廊、秋山画廊、ときわ画廊、パレルゴン画廊、、駒井画廊などたくさんあり前衛美術のメッカの感がありましたが、その付近で当時から現在まで残っているのはいわゆる現代美術に特化しない割合穏やかな作品が並ぶことの多かったこの木の葉画廊のみらしいです。少し遅れて、父実、母芳子の個展を開いたこともあった銀座のギャラリー長谷川が日本橋店を持っていた時期もありました。
搬入当日、オーナーの女性と昔話をしたのですが、真木画廊、田村画廊、駒井画廊(日本画家母芳子の個展を企画してもらった、3店の中では前衛色が薄かったと思う。)のオーナーで慕っている現代美術家が多かった山岸信郎さんもかなり前に画廊を閉めましたが、最近、他界されたと言うことでした。
バブル時の地上げ、その後の不景気などによって貸し中心(一週間で20〜30万の賃貸料をとる)であった現代美術系画廊は立ちゆかなくなったようです。勿論、苦しいのは、画廊持ちで展覧会を開き作品の売り上げで経営する企画中心の画廊も同じですが。
私は、一時田村画廊の画廊番アルバイトの女流写真家のmちゃんが大好きで随分通ったものの、その後前衛美術的とは言い難い体質もあって神田からは離れましたが、初個展から20年以上経って焼き物屋になって付近でただ一つ当時から残る画廊ににきたのには、ちょっと感慨深いものがありました。
テーマ:展示会、イベントの情報 - ジャンル:学問・文化・芸術
往きに、地図帖をコレクションしていて地図の読める女を自認する家内のナビゲーションが間違い、昼時で冬なのに暑く、空腹の中、渋滞(河口付近なので橋を越えてしまうとなかなか元に戻るのが大変)に巻き込まれて、家内が癇癪を起こし、小生もイライラして嫌な空気が漂うたぐらいのトラブルはありましたが結構楽しかったです。
大水槽のウミガメやら鯛やらのいるところにスキューバ姿の茶髪のお姉さんが潜って、手を振りながら水中カメラでライブ映像を外部スクリーンに映すショウはさながら現代の竜宮城でありました。
しかしながら、小生的には、順路の最後の方の淡水魚のコーナーが楽しかったです。
なんというか、子供時代、そこらの小川の底を死ぬほど想像して、雑魚釣りに夢中になったときの夢が体現しているというか、巨大な鯉とかが悠然とおよぐ様を水槽のガラス越しに横から眺めるのははなかなかビッときました。
なにか、日本の雑魚、例えば、くちぼそとかタナゴとかフナとか、アメリカザリガニもそう思ったのですが、泥臭くも繊細でで気持ちが通じる気がするのです。でかい鯉も。
わかーる、わかーるよ、君の気持ち〜〜
(小池徹平)日本的?いや、故郷の感覚なのかもしれません。
海水魚の水槽より小さい水槽だから魚が近いせいか、透明アクリルが薄いせいか、クリヤーに見えました。
そこへ行くと鯛や鯵、ヒラメなどはビカビカ光っていたりして壮絶に美しいのだが立派すぎるというか、ちょっと気持ちが通じない気がしました。
海釣りをしたことがないからでしょうか?
あれは、自分で捕まえるものではないですね。
それとも、自分の島国根性からでしょうか?
井の中の蛙大海を知らず。
それと、小さな日本の淡水魚は、水族館の水槽の狭いところでも水を得た魚でいられるというか、大海の海水魚よりも、元気いっぱいな気がしました。
しかし、デジカメの調子がいまいちで電池を新調したにもかかわらず20枚しかとれず淡水魚のコーナーに行くころは撮影不能になっていて撮れず残念。

世界最大級のマンボウの剥製。細かい凹凸まで再現してあり感動した。

生きているマンボウ。

イルカの水槽。この上に出るとイルカショウをやっている。

水族館からの海景。
その間にちょっとした事件がありましたので書きます。
一週間ほど前、アトリエの出入り口前のコンクリー三和土の上に、大きなカマキリが一回り小さいカマキリの首をガッシリ鎌ではさんでいるのを発見しました。
これがよく言われる交尾後の♂を食う♀のカマキリか。
が、小さいのもかなりパワーがあって、大きいのの△顔の付け根(首)を同じく鎌でしっかりはさんで抵抗していました。
で、そのままのがっぷり四つで2昼夜。これだけでも相当、鳥肌ものの光景でした。
水道が屋外なので、しょっちゅう横を通ります。
てっきり自分は、小さいのがグッタリしているから、既に息が無く死後硬直で大きいの首を締め付けていて、このまま、2匹とも死んでいくものだと思っていたのですが、3日目の朝、仕事を始めようとアトリエのシャッターを上げると。。。
ひえー!
既に大きいカマキリの姿はなく、小さいのだけがいて、そのカマキリの頭がないのです。
頭が無いだけでなく、なんとまだ生きていて、足を緩慢に動かしているのです。
傍らには、髄を食われたあとのある鎌の手が一つ落ちています。
全身、鳥肌が立ちまくりました。
周りを探すと、2メートルほど離れて5体満足の大きいのもいました。
それから今日まで、5日間大きいのも寒くてあまり動けないのでしょう、日の当たるあたりにジッとたたずんだままそこにいるし、小さいのもしばらく生きていたのだが、雨が降ったりで気味が悪いのと無精で誰も始末しないので、アトリエの入り口に未だ腹を上に(家内が棒で裏返した)したまま横たわっているのです。
夏なら蟻さんがどこからともなくやって来て始末してくれるのですが。。
で、その5日間の間に、釉掛けと焼成をしました。
毎日毎日2匹のカマキリと一緒でどうしようかと考えていたのですが、いっそ、窯の中で火葬にしてしまうか、土ものの器の上に載せれば木の葉天目ならぬカマキリ天目が出来るかもしれないともチラッと考えたが、祟りで上手く焼けなかったり、お客さんが首の病気になったりしそうな気がしてやめました。
と言うわけで昨日、次女と庭に穴を掘って埋葬いたしました。
合掌

戦争と平和、別れる理由(小島信夫)、源氏物語(一応原文で、小学館)平家物語、史記(一応漢文で。列伝の半分は明治書院の注釈書がまだ出ていなくて読めなかった)等々、うんと長くて読みづらいのを読み通していた。
おりしも、バブル全盛時で、いきなり海外に留学、旅行する若者が非常に多くなったが、自分はどうも旅行があんまり好きでなく、実家に籠もって、当時小さい彩色木彫がドンドン売れた有名彫刻家の父実の下彫りをしながら彫刻や絵を制作するかたわら、読んでいたのである。
まあ、さすが名作で面白かったし、読み通したときの達成感はやはり素晴らしい。
その後、景気は後退し、自分も歳をとったが、次ぎに流行ったパソコンの普及はどうやら乗り遅れず、一応は扱える。
パソコンに夢中になるとともに、あまり本を読まなくなってしまった。
記憶力や目も悪くなったし、苦労して難しい本を読み通す気力が歳とともに減退した。
それに、若いころは海外に行かないやつはダメという風潮に対して、自分は家で読書で世界旅行および時間旅行だみたいな感じで読んでいた、つまりコンプレックスの裏返しで読んでいた面があったのだが、昨今の自分は一応デジタルにはなっているので、昨今のパソコン出来ないやつはダメという風潮にはあまりコンプレックスがないと言うこともあって、無理して読む気力が出ないこともある気がする。
時間も昔ほど無いし、良い作品を作るには美術でも文学でも良い作品をたくさん経験しなくてはいけないと思っていたが、最近はあまり関係ないのではないかと思うようになったのも大きいような気がする。
しかし、最近、パソコンの前でダラダラ過ごしていると、老眼や腰も、ますます悪くなってくるし何だか気が滅入ってくる(特にブログの入場者とコメントに一喜一憂するのは実に不毛である)ようになったので、しいて本を読むようにしている。
しかし、難しく長くて退屈なのは絶対に投げ出すから、昔読んで面白かったはずれのないものそれもあんまり長くない物ばかり。
まず、ちょっと前であるが、杜甫の代表作と生涯を分かりやすく紹介した本、図書館で借りた20年ほど前の本だったが、著者は忘れてしまった。
次ぎに、小林多喜二「蟹工船」、冬の海の風景がきれいかつリアルで感動した。
杜甫も戦火を逃れての放浪途中の絶景が張りつめていて凄い気がした。
社会的なテーマをゲージツ品に持ち込むことにはほとんど興味がなかったが、正義感あってなおかつ美しいなあ、こういう人もいるのだ、偉い人は偉い、世の中広い、と当たり前のことを痛感した。
最近は漱石の「坊ちゃん」。
田舎ををバカにしたり、言いたいことをぱんぱん言う姿勢が気持ちよかったというか、文豪の名作がこうあけすけにものを言うのにちょっと驚いたのだが、ひるがえって自分のブログのあまりの用心深さがなんだか恥ずかしくなっていろいろ考えて、途中小説の内容に集中できなくなったりもした。
最近は読んでいる文章から自分のブログに関係あることを思いつくといつの間にかブログのことばかり頭がいっぱいになって本を忘れてしまっていることが多い。ブログも文章だからいけないのだろうと思う。
それに限らず、焼き物を始めてからは、彫刻と違って普通に人の生活に関わることに不慣れというか、使い勝手、お金、複雑な工程(人に不快でないようにするのがこんなに大変とは!ろくろ、焼成、釉等々)で気持が動揺することが多く、読書に集中できないことが多い。
「坊っちゃん」は小学校のころに買ってもらった子供向けの本が未だあってそれで読んだ。
パキパキ余計なものが一つもついていない木で作ったようなパンクな肌触り(よく分からないことを言って済みません)を感じた。
小中学生のころ読んだときはもっと熱くて筋肉質の感じがした記憶があるのだが自分の想像力の減退か?
坊ちゃんに限らず若い時分凄く複雑で豊穣に思えた本が最近読み直すと意外にシンプルな感じを受けることが多い。例、ジェーンエアと罪と罰(訳は新しい訳なのだが)
そのあとは有島武郎の「小さき者へ」と「生まれ出づる悩み」前者は奥さんの壮絶な死、北の風景が張りつめていて良かった。後者は蟹工船と同じように北の海の漁場の描写があったがやはり緊迫感では多喜二に一歩譲る感じはしたが、その分何か芸能っぽいと言うか進み方がマーチっぽいズンチャカズンチャカ進む感じが面白かった。(これも分からないですね)
これらは始めて読んだが、ちょっと前に「或る女」を読んで感動したので。。。
現在は「彼岸過迄」を4分の1ほど読んだところ。
たった今は窯焚き中です。
(11月20日に書いて21日アップ、11月22日加筆しました。)

最近体操をしています。
きっかけは、腰の強さにはかなり自信を持っていた自分がついに腰痛になって、デパートから少し変だったのですが、陶器市、産業まつりで一日立って接客していたら腰が痛くてたまりませんでした。
が、一番のきっかけは、陶器市から帰った直後、下の子をダンス教室につれていった際、笑顔の可愛い先生(社会人の娘さんがいるのにレオタードの太ももがティラノサウルスのあんよみたいに筋肉が盛り上がっていてとってもセクシー)に「お父さん、運動してますか?歩き方が運動してない動きですね」と言われてかなり凹んだことです。
仕事中も、水道が屋外にあって、磁器と言うことで掃除や道具の洗滌で水をかなり使うのですが、20リットルの漬け物樽に水をためてアトリエによっこいさと運び入れるのですがこれが重くて辛くて仕事を始めるのが億劫でついダラダラとパソコンの前で過ごしてしまう。
重いものを持って、屋外と屋内のサンダルを片足立ちでもう一方の足先で探って履き替えるのが非常に体力を消耗するのです。
これは、体力をつけるしかない。
そんなこんなで、youtubeでNHKのテレビ体操(ラジオ体操第一、第二)の映像を探して落としてテレビの胸板と腰の太いレオタードのお姉さんと一緒に一日数回やっています。
小一の下の娘には「どうせパパはお姉さんが見たくて体操しているんでしょ!フン!」といわれています。
ランニング、速歩よりもどうも即効性があるようで、男の冷え性(trapのクマ姉さんに男の更年期のためと言われています)も緩和しています。
腰痛は染め付けとろくろを両方やるのが応えている感じがします。

美人を相手に鋭意接客中の私。
腰の前で手を組むあきんどスタイルが身についてしまった。
「美人割引がございますよ、お客さん!」と平気で言える自分に驚く。
お義母さんも言ってたぜ、せっかく来ても練習ばかりで話も出来ないと。。。
ほとんどノーギャラでも家事をちゃんとやってるし、陽気だし、私の腰痛の指圧もしてくれるから文句は言えないが。。
そこで、この頃盛んにCDを購入している。(これもこの間書いた。)
最近買っているのはエリックドルフィー関係、昔の日本のロックなど。。
昨日届いたのははちみつぱい「センチメンタルどおり」
それにしても、CDを買うのは実に楽しい。
ネット上でやすいのを探し、プレビュー、感想などを探して中身を推定する。
また、youtubeにあれば聴いてみる。
聴いてみれば分かりそうなのだが、買う前の状態は冷静でない上にあんまり音楽に敏感とは言えないから、買ってみると意外につまらなかったりするのでその分も考慮に入れて品物を選ぶ。
自分の気持ちにフィットするかどうか、この先の自分の生き方まで考えたりして。。
その過程が実に楽しい。
以前にファイル交換ソフトを使っていたときもあったがやはり何だか面白くなくなってきて全て捨ててしまった。
本当に、CDがアマゾンに出ているようなやつは印税もはいるし、羨ましい。
焼き物を始めて作品を多少売ってみて驚くのだが、勿論、一見してすぐ立ち去るお客さんのほうが多数ではあるが、買うか買わないか、どれを買うかと言う気持で作品を見るお客さんの迫力は凄い。
かなり正確に制作時のこっちの充実度を見抜いてくる。
彫刻を作っていた時代にはまず見ることが出来なかったお客さんの態度だ。
やはり、お金が関わっての作家とお客さんの間は熱いのだ。
ひるがえって、そう言うイベントでないと言えばそれまでだが敢えて言うと現在開催中のTAPのオープンスタジオは、アトリエで作品を販売することは自由だ(それだけでも画期的なのだが!)が、無償が基本であるというか、考え方が現代美術的というか、動員が少ないのとおいらの器の値段と取っつきづらさもあって全く売れていない。
商売の脂っこさをアトリエで出す雰囲気ではない。
スタッフもほとんどボランティアみたいなものだし。。。
まあ、かつて命をかけて作った、3メートルもあってボンドで画用紙を固めて作った父実の裸体肖像や体中からエレクトした男根が映えている木彫像に目が点になっている来場者をみるのは結構嬉しくはあるし、お祭りの快感もあるのだが。。。
ところで、取手にはゲーダイがあってTAP(取手アートプロジェクト)があって多くの関係者の努力があって家賃が安いこともあってたくさんの作家がいる。
取手美術作家展トリビもある。
絵や彫刻にとどまらず、巨大だったり、すぐ壊れてしまったり、危険だったりすることもある作品を造る人も多いから、買えというほうが無理だろうし、当然そんなに売れないから、教師などの副業を持っている作家がほとんどである。
自分も長いこと、教師や、父の下彫りやスネかじりをした。
しかし不思議なのは、現代美術の個展にいっても入場料を取らないのだ。
お寺の賽銭箱みたいのを置いてもおかしくないと思うのだがそうはならないし、自分もやったことがないばかりか、来てくれた人に買ってくれたわけでもないのに礼状を送ったりしたこともあった。
なんという、卑屈さ。
貸し画廊に高い賃貸料を払っているのに。。。
見る方も多少とってくれた方が気を使わないでも済むこともあるしとおもうのだが、、、、、、、
多分、絶対に売れないものを並べたとしても画廊はお店であって商売の場であるという考え方が盲腸みたいに残っていて入場無料なのだ。
そうなると、マスコミにうける、美術館の企画展に呼ばれるがイノチになってしまって、せっせと美術年鑑の住所録を見て新聞社や美術館にDMを送ったものである。
でも、なんで美術館や団体展はお金を取るんだ。
偉い人の作品が並んでいるからだろうか。
まあ、売れるものにしか意味を見いだせない世の中はつまらんし、商品や偶像としてでなく作品を楽しんでくれるとするなら、それはそれで大きな進歩で人類の知恵と善意の発現のようなものとも思うのだが、最近いろいろ疲れたし、女房もほとんど儲からない仕事で留守がちなので考えてしまったのだ。
作品買ってくれー
最終日15日にアトリエを公開します。
お気軽にどうぞ。
押し売りは決して致しません(笑)
(11月24日少し加筆しました)
http://www.toride-ap.gr.jp/09travel/



森岡慎也さんの作品。
子供達が盛んにさわりに来る。
西日を浴びて暖かくなる。
「炊きたてだから暖かいんだよ。」

森岡慎也さん作の携帯ストラップ。大きな石のおむすび同様白い石に黒い石をはめ込んである。
一つ購入して、最近人並みに携帯を手放せなくなった妻にあげた。ちなみに小生は今もって携帯を持っていない。

峯靖晃さんの作品。繊細な詩情がある。
物語の登場人物のようだ。
魔笛の登場人物(パパゲーニャ)や村上春樹の小説に出てきそうと言う感想があった。

青木意芽滋さんの作品。
ガラスのワイングラスの足を折って破片を濡れたように樹脂の雫がついたナイロン糸とともに中に閉じこめてある。
何か痛切な叙情性が胸を突く。

阿部乳坊君の作品。
正しい彫刻を作ろうなどという色気が無く、自分の持つヌメヌメとした触覚のようなものに正直なところが良い。
自分も長いこと木の人物像を作り続けてきたが、こういう感じに常に嫉妬していた記憶がある。
おれは、いつでも大層な構えで制作していたからな。

意芽滋君と乳坊君の作品に囲まれてくつろぐワタクシであります。

接客中の私。
物産として美術を追究しているのさ。
まあ、一言で言って激安物産の迫力に圧倒されて、ヨレヨレになった2日間であった。
売り上げは?
敢えて、言わない。
800円ほどでマグを売っていた笠間から来ている窯元のおっちゃんに「高いやすいはお客さんが決めること」と言われたが、お客さんには「キレイだし、これだけやっているんだから、高いとは思わない。だけど買わない。」と随分言われた(笑)
まあ、これからもあんまり安いのを作るより、美術家=焼き物屋として精一杯な仕事を続けて景気がよくなるのを待つしかないなと半ば開き直り気味に改めて思った。
大体、手間を掛けないで良いもの作るのは自分には難しいし。。。
しかし、買うつもりで見るお客さんの視線に力のあることあること。
だから、例え売れなくとも「物産」としての美術には意味があるのです!
です。
我々は取手画廊として出店します。
先ほど搬入を終えてきました。
http://ginyou.blog123.fc2.com/blog-entry-219.html
新聞の折り込みチラシ。
左上に、我々の名前が出ています。
昨日入ったようでした。

裏は、

産業まつり遠景
今年から、ガス会社のでっかいテントが。。。。。
称して「ガス展」
堤防の上から撮影しています。

我が「取手画廊」のテント
左の茶色の「取手画廊」の立て看板は、数年前最初の出店の際、粘土で皆で手分けしてレリーフ状に字を彫り、小生が黄瀬戸釉を掛けて焼成しました。
現在準備中。
皆、力の入った小作品をボンと1点か2点、スッキリとしたファインアートのグループ展になりました。
小生だけ、小さい器をたくさん並べますが、この間の釉下彩の大皿も出します。

午後の日に光る利根川の川面。
見づらいですが、ススキの穂が見えます。
北陸出身の阿部君は「空がでかくて良いですね」と言っていました。

第28回とりで産業まつり
11月7日(土)8日(日)
午前10時〜午後4時
利根川の河川敷(緑地運動公園)取手駅から徒歩で10分ぐらい。
市内、県内物産です。
「取手画廊」
阿部乳坊(彫刻)
青木意芽滋(現代美術)
鈴木厚(陶磁器)
峯靖晃(彫刻)
森岡慎也(彫刻)
毎年(去年は出店せず)安く美味いものを食いながらの楽しいイベントですので、遊びに来てください。
<問い合わせ先>
取手市商工会
とりで産業まつり実行委員会 0297ー73−1365
テーマ:展示会、イベントの情報 - ジャンル:学問・文化・芸術
オープンスタジオ
先週から開いている人もいるようですが、小生は今日が初日です。
スタジオを公開してますよと言う幟。

電信柱に貼ってある案内。
真ん中の矢印だけはシールになっており、電信柱等に本体を貼り付けてから方向を考えて貼る仕組み。

磁器のアトリエと言うことで、土足禁止のため、スリッパを買ってきてお客様のおみあしにおもてなし。

お掃除も私にしてはバッチリ。
で本日のご来場は、
朝近所のおばあちゃん・奥さん達がお三人、昼に近所の絵描きの先生がお二人、三時頃、去年の屋台で一緒だった若い絵描きさんご一家で三人と、市民の方お一人、夕方、近所の絵を描く奥さん。の計10人さま。
皆様、でっかい窯(焼き物屋的に言うとコンマ3と言うことで決して大きくないのだが)や、昔小生が紙とボンドで作った3mちかい父親の裸の肖像、模様・形がバッチリなのに蓋が焼成の時にくっついて決してあかないティーポットなどに目を丸くなさっていました。
みんなそんなに長いことはいないのですが、いる間は楽しそうで良かった。
しかし、やはり来場者が多いとはいえない。明日に期待。
やっぱり開いていると、期待していなかったつもりが、たくさん来ていただきたいんですね。
押し売りなど決して致しておりませんので、どうぞお気軽においで下さいませ、ませ。
http://ginyou.blog123.fc2.com/blog-entry-218.html
テーマ:展示会、イベントの情報 - ジャンル:学問・文化・芸術







